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【百年ニュース】1921(大正10)10月21日(金) 英国の作曲家マルコム・アーノルド(Malcolm Arnold)がノーザンプトンで誕生。1941ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団入団,翌年首席トランペット奏者に。映画音楽も手掛け『戦場にかける橋』(1957)で第30回アカデミー賞の作曲賞を受賞。2006年没,享年84。

英国の作曲家マルコム・アーノルド(Malcolm Arnold)がノーザンプトンで誕生しました。1957年の映画『戦場にかける橋』の音楽を手掛け、第30回アカデミー賞の作曲賞を受賞しました。行進曲『ボギー大佐』を『クワイ河マーチ』として蘇らせ、世界的に広めたことで知られています。この曲は数ある映画音楽の中でも最も親しまれている作品の1つと言っていいでしょう。

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マルコム・アーノルドの父は靴職人で、裕福な家庭に生まれました。5人兄弟の末っ子です。彼の家庭は靴屋でありながら、家族は多くのミュージシャンでいっぱいという状況でした。両親はピアノを弾き、叔母はバイオリニストでした。また彼の曾祖父はチャペルロイヤルの聖歌隊長として有名な、作曲家のウィリアム・ホーズでした。ボーンマスでルイ・アームストロングの演奏を見て感動し、彼は12歳でトランペットを始めました。そして5年後に王立音楽大学 (R.C.M.) への奨学金を獲得しました。

RCMでは、ゴードン・ジェイコブから作曲を、アーネスト・ホールからトランペットを学び、1941年には第二トランペット奏者としてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に入団します。そして2年後の1943年には首席トランペット奏者となりました。

当時は第二次世界大戦の最中でしたが、1941年に良心的兵役拒否者として登録し、国家消防局に入ることを条件に兵役を免除され、ロンドン・フィルハーモニーに留まることが許可されました。しかし1944年、英国空軍で従軍していた弟が戦死すると一転、兵役に志願しました。

戦後はBBC交響楽団の首席トランペットを務めたあと、1946年にはロンドン・フィルハーモニーに戻り、1948年まで活動しましたが、その後は作曲に専念しフルタイムの作曲家となりました。

作曲家としてのマルコム・アーノルドは、ベンジャミン・ブリテンらとともに、イギリスで最も人気のある作曲家として頭角を現します。特に映画音楽の作曲家としては大成功を収めました。『クワイ河マーチ』、『ホブソンズ・チョイス』、『セント・トリニアン』シリーズなど100本以上の長編映画やドキュメンタリーの作曲を担当しました。

しかしプライベートの面では、アルコールの問題と女性問題を抱えており、1961年に最初の妻と離婚し、2度の自殺を図ったことでも知られています。晩年は健康を害しただけでなく、金銭面にも窮するようになり、1978年にロンドンのロイヤル・フリー病院に急性精神疾患で数カ月間入院治療を受け、翌1979年にはうつ病とアルコール依存症の治療のため故郷であるノーサンプトンのセント・アンドリュー病院に入院しました。

1979年から1986年の間、マルコム・アーノルドには保護裁判所の管理下で回復に努め、カムバックに成功します。1986年に自身の9番目の交響曲を完成させました。 そして一般の人々からの芸術的評価も回復し、1991年に自身の70歳を記念する誕生コンサートがロイヤル・アルバート・ホールで開催されました。そこで彼自身が演奏するギター協奏曲のパフォーマンスの後、観衆の大歓声と大きな拍手を受けることとなりました

そしてアーノルドは2006年9月23日、ノーフォーク・アンド・ノーウィッチ大学病院で胸部の感染症により84歳で亡くなりました。その同じ日、彼の最後の作品 であった『三銃士』が初演されました。

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