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【百年ニュース】1921(大正10)8月9日(火) ニューヨークの弁護士フランクリン・ルーズベルト(39)がカンポベッロ島の別荘に滞在中ファンディ湾の冷たい海で泳ぎ体調を崩す。ポリオに感染し、12日には両足が麻痺し,生涯車いす生活を余儀なくされた。1933第32代米国大統領に就任。

当時39歳だったフランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)はニューヨークの弁護士をしていました。メイン州沖のカナダ・ノバスコシア州カンポベッロ島の別荘で毎年家族で避暑を過ごすのが恒例でしたが、この日ファンディ湾の冷たい海で泳ぎ体調を崩しました。翌日から高熱を出します。

容態は徐々に悪化していき、12日には腰からに麻痺が生じました。引退し近くで休暇をとっていた著名な脳神経外科医ウィリアムW.キーン博士が駆け付け診療にあたりましたが、残念ながら改善せず、結局生涯にわたる車いす生活を余儀なくされることになりました。ポリオに感染していました。

他者のサポートなしでは立ったり、歩いたりできなくなるというハンデを追いながらも、フランクリン・ルーズベルトは1933年に第32代米国大統領に就任しました。

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カンポベロ島の別荘
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水泳を楽しむフランクリン・ルーズベルト

毎年夏になると、カンポベロ島の別荘へ行き、家族とともにバカンスを楽しんだ。1921年の8月も、いつものように別荘で夏休みを過ごしていた。ある日、近くの海岸で子供たちと水泳をして帰宅すると、いつになく身体が重たく、だるさを感じた。しばらくすると激しい悪寒に襲われ、高熱が出た。すぐに近所のかかりつけ医をよび、診察を受けた。単なる風邪で、少し休めば回復するだろうという診断だった。

しかし、その後もなかなか熱が下がらず、エレノアは単なる風邪ではないのではないかと感じ、別の医師に診てもらうことを提案した。当時、ニューイングランドではポリオが流行しており、そのことがエレノアの頭の中にあった。エレノアは、ボストンから小児麻痺性脊髄炎せきずいえんの専門家であるロヴェット医師を急遽、別荘へ呼び寄せた。

エレノアの懸念は、現実のものになった。ロヴェット医師は、ローズヴェルトがポリオに罹患していると診断した。ポリオは小児麻痺ともよばれているように、子供がかかる病気だと思われていた。ローズヴェルトも、自分の子どもたちがポリオに感染しないように細心の注意を払っていたのに、自分が感染してしまったことに驚いた。

大人がポリオに罹患するのは珍しかったので、最初の医師が正しい診断を下すことが出来なかったことを、必ずしも責めることは出来ない。ただ、この経験は、ローズヴェルトに専門家への不信を抱かせることになった。のちに大統領に就任すると、多くの側近を抱え、さまざまな角度からの助言を求めた。側近を互いに競わせ、その中から最善と思われるものを選択して政策を決めた。こうしたやり方は、独善的な判断に陥ってはいけないという思いから来ており、自分が病気になって得た教訓のひとつであった。

病名が判明してからは、長く苦しい闘病生活が始まった。ロヴェット医師の紹介で、ドレイバー医師がローズヴェルトの主治医となった。彼は、今後、治療を続けても足の筋肉の大半が失われて、「腰から下は死んだ人間」になると宣告した。ローズヴェルトは、それまで自分が神から選ばれた人間だと信じていたが、この医師の言葉を聞いて、神から見放されてしまったと感じた。

佐藤千登勢『フランクリン・ローズヴェルト』中公新書,2021,52-53頁
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