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父のこと2 壇ノ浦から銚子まで 

「壇ノ浦から銚子まで」 

僕が小学校三年の頃だったと思います。僕は、自分の苗字のことで友達からからかわれていました。「向後」と言う苗字を「後ろ向きだ」とか、囃し立てられたいたのです。

ある日、僕は、日本間で横になってタバコを吹かしている父に、なんで向後と言う苗字なのかと尋ねました。

父は、僕の様子から、何事か察したのかもしれません。僕の問いにはすぐに答えず、ハイライトに火をつけ、気持ちよさげに一服した後、僕にとって一生忘れることがないであろう大切な話を語り始めました。

「壇ノ浦の合戦というのがあるだろう?」と、父。

いきなり、訳のわからないことを言うのは、毎度のことです。僕は「壇ノ浦の合戦なんてどうでもいいから、僕の問いに答えてよ」とあせるのと同時に、父が「何を話し始めるのだろう」という好奇心も湧いてきました。こうなると、もうダメです。ダメな警察犬が、ひょいと置かれた肉に釣られて立ち止まってしまうようなものです。まんまと、父のペースに乗せられてしまいました。

僕は、「知ってるよ、源氏と平家が戦ったやつでしょ?」と答えました。当時大河ドラマで「義経」をやっていて、緒形拳さんの弁慶が大好きでそれをかかさず見ていたので、そのくらいのことは知っていたのです。

父は頷き、「我が向後家は、平家だった」と、いきなり衝撃的な事実を切り出したのです。そして、その瞬間、僕は、父の話の世界に完全に入り込んでしまいました。

「残念ながら、・・」父は続けます。

「平家は、源氏に敗れた。それは、悲惨な戦いだった。我が向後家の祖先は、しかし、けっして、源氏の連中に背を見せなかった。しんがりを務め、最後まで刀を抜いて源氏と戦ったんだ」

僕は、「しんがり」という意味が分からず、父にその意味を尋ねました。

父は、にやりと笑みを浮かべ、「しんがりというのは、戦いが不利になり撤退をする時、一番後ろを守ることを言うんだ。しんがりは、一番犠牲が多い。だから、一番強い武将が務めるもんだ。秀吉も信長が危機に陥った時、しんがりを務めた」と言うのです。

僕の頭の中には、「我が向後家」の祖先が、名誉あるしんがりを務め、勇敢に戦うシーンがありありと浮かんでいました。

父はさらに続けます。

「向後家は、源氏に向かって刀を抜きながら、壇ノ浦から千葉の銚子まで帰ってきたんだ」

千葉県の銚子は、父の生まれ故郷です。当時小学生だった僕には、壇ノ浦から千葉までの距離感などわからず、父の話になんの疑問も持たず、我が祖先が刀を構えながら、勇敢にも壇ノ浦から千葉まで撤退していくシーンを思い浮かべていました。

「後ろ向きに刀を構えながらしんがりをつとめるその姿から、壇ノ浦以降、我が祖先の苗字は向後になったのだ」

さらに、父は、「『向後』という言葉は、『これから先』っていう意味もある。昔は、『今後』のことを『向後』と言っていたんだ。つまり、我が祖先は、いつか源氏をやっつけてやるって思いつづけたのだ」と付け加えました。「そのため、我が向後家は、その精神を受け継ぎ、『決して敵に背を向けない』を家訓としている」という言葉で、父の話はしめくくられました。それまで、向後家にそんな家訓があるとは知りませんでした。

その話を聞いて、僕は、身体中にエネルギーがみなぎってきたように感じました。僕には、源平合戦でしんがりをつとめた向後家の血が流れているのです。

その後、自分の名前に対する劣等感はなくなり、むしろ名誉に思えたものでした。

苗字をからかうクラスメートたちに、向後家の名誉ある歴史を語ると、クラスメートたちは僕の話に聞き入り、その後全くからかうことをしなくなりました。

しかし、その名誉ある向後一族のしんがりの話は、まったくのでたらめだったのです。父の死後、このエピソードを思い出して、いろいろ調べたのですが、そんな史実は、どこを探しても全く見つかりませんでした。これは、全部父の作り話だったのです。

おそらく父は、ハイライトを気持ちよくふかしているほんの一瞬に、この話を思いついたのでしょう。父は、そういう人でした。

唯一正しかったのは、「今後」という言葉は、昔「向後」だったということです。実際、司馬遼太郎さんの小説の中にも、たびたび「向後」が「今後」の意味で使われています。

そして、この父との会話が、30数年後に僕を助けてくれることになります。

※イラストは、ChatGPTで作成してます。


それからずっと後、僕は、いろいろ回り道をした後、40歳を過ぎてアメリカの大学院の心理カウンセリング学専攻に留学しました。なんとか学校を修了した後、僕は、カウンセラーとしての経験を、もう少しアメリカで積みたいと思い、サンフランシスコ市内のRエージェンシーというメンタルヘルスのケアセンターを受けました。

Rエージェンシーは、トレーニングも充実しているし、たくさんの様々なクライアントを担当できる人気の施設でした。倍率も高いし、何年か日本人の採用もなかったのですが、ダメ元で受けてみることにしたのです。落ちたら、アメリカ観光でもして日本に帰るつもりでした。

面接官は、二人、所長のE女史と、スーパーバイザーのFさんで、僕を笑顔で迎え入れてくれました。

さっそく、面接が始まったのですが、E所長が、どうも「ヨシユキ」という私の名前をうまく発言できないのです。それでも、一生懸命発音しようとしているE所長の姿を見て、親しみを感じました。僕がE所長に「『ヨシ』と呼んでください」と言うと、彼女はほっとした様子でした。そのとき、E所長は、「日本人の名前には両親が意味を込めていると聞いたことがあるのだけど、『ヨシユキ』とは、どういう意味なの?」と、聞いてきました。僕は、「Good Guy (良い奴)って意味です」と答え、「電気屋の『Good Guy 』じゃないですからね」と、余計なひと言を付け加えました。アメリカには、『Good Guy 』という電気屋の有名なチェーン店があったのです。E所長もFさんも吹き出しました。

「おっ、僕のおバカなジョークが受けたぞ!」と僕は調子に乗りました。

すると、今度はFさんが、「それでは、『向後』は、何か特定の意味があるのかい?」と聞いてくるのです。

その時、僕は、小学校三年の時の父との会話を思い出したのです。「『向後』は、Future(未来:これから先)という意味です」と答え、「父が言うには、我が家の祖先はある大きな戦いに敗れ、地方に逃れたのですが、いつかきっと復活すると言う意味で、『向後』と名乗るようになったとのことです」と説明を加えました。「父が言うには」と付け加えたので、ウソではありません。僕の話を聞いて、E所長もFさんも感心したような表情をして頷いていました。

そこで、僕はちょっとした悪戯心で、「ですから、私の苗字と名前を合わせると、『将来、いい人になるかもしれない』という意味になるんです」と言いました。

その瞬間、E所長もFさんも声を出して大笑いです。

E所長は、「じゃあ、あなたが今現在、いい人かどうかわからないじゃないの?」と、涙を流さんばかりに聞いてきました。

僕はさらに調子に乗って、「だから、今、私を採用するというのは、いい投資になりますよ」と答え、部屋の中は再び大爆笑に包まれました。部屋の外にいる人たちは、どう思ったのでしょうね?面接なのに聞こえてくるのは笑い声ばかりだったのですから。

面接が終わり、家に帰って妻から「どうだった?」と聞かれたので、「面接官が冗談好きのようだったので、つい調子に乗ってジョークを言ったら大ウケでね、でもその後の臨床心理関係の質疑応答は、ちょっとだけだったし、ダメかもね?」と答えました。妻からは、やれやれと言った表情で、「そうやって、すぐ調子に乗るんだから。我が家の家訓は『錯覚いけない、よく見るよろし』よ」と嗜められました。

「錯覚いけない、よく見るよろし」は、将棋の升田幸三が、大山康晴との勝負で、勝利目前の局面で、信じられないような悪手を指してしまい、逆転負けした時に言った言葉で、結婚当初からの、我が家の家訓になったものです。向後家の家訓は、僕らの代で変わってしまったのです。

僕は、また懲りもせず、錯覚してしまったのかもしれません。

ところが、一週間後ぐらいに、Rエージェンシーから合格の連絡が来たのです。父の法螺話が、何十年も経って、僕を助けてくれたのでしょう。


※イラストは、ChatGPTで作成してます。

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