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「いねむり先生」 伊集院静著 集英社文庫

夏目雅子と死別して間もない伊集院静と、いねむり先生阿佐田哲也の旅打ちの物語。

先生はナルコレプシーなのでいつでもどこでも、突然眠ってしまう。大きなお腹の上に両手を乗せて眠っているいねむり先生の姿はなんとも愛らしい。


愛らしくユーモラスな先生は、実は激しい幻覚と妄想に悩まされていました。自分の周りに妖怪や幽霊がウロウロしているようなものでしょう。谷中の墓地で野宿をしたことがあるそうで、その時、人魂を見たのだそうです。「人魂が出てきてね。あれはさわると生暖かくてね」、「大空襲の後なんかはそこいら中、人魂だらけでね。パレードしているみたいだったよ。フッフフ」とふくみ笑いをしたあと、「どこかに美味しいもんでも食べに行きませんか」と「ボク」を誘います。その雰囲気がなんともいい。ひょうひょうとしていますが、先生は「自分は、自分の頭がこわれているという実感を大事にしている」のです。先生は、辛いことがあったら「知らん振り、知らん振り」と言います。


先生は会う人たちを安心させます。ヤクザも博打打ちも旅館の女将も飲み屋の大将も、みんな先生が好きです。

いねむり先生は、「ボク」の小説を褒めていたが、「ボク」は書けないと思っている。自分には才能がないと考えていたからです。それに妻に先立たれて虚脱状態になっていたのかもしてません。なぜか先生は、そんな「ボク」と旅打ちをするのを楽しみにしています。旅打ちとは、旅をしながらギャンブルをすることです。競輪、麻雀、花札・・・何もなければチンチロリン。でも、この本には、麻雀放浪記の坊や哲がやっていたような激しいギャンブルシーンはありません。ただ静かに日々ギャンブルをやっているのです。


1989年に阿佐田哲也は亡くなります。この本の中では、「ボク」は先生の死のことは考えないように、「知らん振り、知らん振り」と自分に言い聞かせます。1周忌が終わった頃、「ボク」は中国に映像製作の仕事で出かけ、そこでいねむり先生の幽霊に出会います。「あっ、待て、待ってくれ」と「ボク」は追いかけますが、先生は姿を消してしまいます。そのシーンがとても切ない。


そのあとのことはこの小説の中では書かれていません。

あのときの、先生の幽霊との出会いの切なさが、「ボク」すなわち伊集院静が再び小説を書き始めるきっかけになったのかもしれません。阿佐田哲也の死後3年目の1992年、伊集院静は小説「受け月」で直木賞を受賞しています。

「いねむり先生」が書かれたのが2013年。阿佐田哲也との体験を文章にするのにそれだけの年月が必要だったのでしょう。


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