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「天才の光と影」 高橋昌一郎 著 PHP研究所

研究者や大学の先生が人格者であるとは限りません(もちろん、自分も含めて)。

ノーベル賞やフィールズ賞の受賞者などは、どうも神格化されやすいのですが、どんな天才たちの中にも「影」の部分はあるわけです。


例えば、この本で紹介されているノーベル賞受賞者たちは、こんな感じです。


<ナチスドイツに共鳴し、ユダヤ人科学者を迫害した>

- フィリップ・レーナルト 1905年 ノーベル物理学賞
ナチス・ドイツの科学顧問として強権を得たレーナルトは、終戦までユダヤ人科学者を迫害し続けた。(p.43)

<女性関係が乱れていた>

- アルベルト・アインシュタイン 1921年 ノーベル物理学賞
アインシュタインはエルザと結婚後、少なくとも六人の女性と関係をもったことが明らかになっている。(p.126)

- エルヴィン・シュレーディンガー 1933年 ノーベル物理学賞
シュレーディンガーは、一夫多妻主義(p.138)。


<差別主義者>

- ウィリアム・ショックレー 1956年 ノーベル物理学賞
一九五〇年代から、ショックレーは、遺伝による能力や人種の差別を公然と表明するようになる。(p.213)また、学歴偏重も常軌を逸していた。彼は「博士号を持っている人間は、持っていない人間よりも、あらゆる仕事ができる」と公言している。(p.221)

- ジェームズ・ワトソン 1962年 ノーベル生理学医学賞
二〇〇七年十月、七十九歳のワトソンは、コールド・スプリング・ハーバー研究所でインタビューを受け、人種差別的発言をしている。(p.239)

<神秘主義・オカルト・陰謀論への傾倒>

- ヴォルフガング・パウリ 1945年 ノーベル物理学賞
晩年のパウリは、「物理学と心理学を融合」させなければならないと考えるようになっていた。とくにパウリが興味を抱いたのは、ユングの「シンクロニシティ(共時性)」という概念である。ユングは、ある瞬間に世界で起こる出来事は、すべてが巨大な「集合的無意識」で繫がっていて、それが「共時性」を生じさせるとみなしていた。(p.178)

- ブライアン・ジョセフソン 1973年 ノーベル物理学賞
彼は、ほとんどの肉体的な病気は「超越瞑想」によって克服でき、望むままの「自己実現」ができると一般大衆に訴えかけた。(p.282)

- キャリー・マリス 1993年 ノーベル化学賞
マリスは、エイズの原因は「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」ではないという奇説を主張するようになる。また、フロンガスによるオゾン層の破壊のデータを否定し、「地球温暖化」そのものを立証するデータやエビデンスも「人為的」だと異議を申し立てている。(p.305)


もちろん人格的にも優れた人はいます。

例えば、ニールス・ボーア (1922年 ノーベル物理学賞)のように、第二次世界大戦中にナチスから逃れてきた多くのユダヤ人研究者を多数救った人もいました(p.64)。


マックス・フォン・ラウエ(1914年 ノーベル物理学賞)も、ナチスに正々堂々と抵抗しました。彼は、ユダヤ人科学者に対する差別に対し、「物理学に人種も宗教もない(p.100)」と1933年に主張しています。

また、困難を乗り越えてノーベル賞を受賞した人たちもいます。虐待を乗り越えたポール・ディラック(1933年 ノーベル物理学賞)、統合失調症を克服したジョン・ナッシュ(1994年 ノーベル経済学賞)といった人たちです。


ライナス・ポーリング(1954年 ノーベル化学賞 1962年 ノーベル平和賞)は、バランスのとれた立派な人格者でした。

ノーベル化学賞を受賞後、ポーリングは、1958年に「もう戦争はいらない」を出版し、1962年にはノーベル平和賞を受賞しています。この授賞式の後、世界中の大学生の集まるパーティで、ポーリングは次のように語っています。

「立派な年長者の話を聞く際には、注意深く敬意を抱いて、その内容を理解することが大切です。ただし、その人の言うことを『信じて』はいけません! 相手が白髪頭であろうと禿頭であろうと、あるいはノーベル賞受賞者であろうと、間違えることがあるのです。常に疑うことを忘れてはなりません。いつでも最も大事なことは、自分の頭で『考える』ことです」(p.207)」と語る素晴らしい研究者でした。

ポーリングのこの言葉を覚えておきたいと思います。


しかし、ポーリングは晩年に「ビタミンCが体内の「分子矯正」を行なうという奇妙な主張をするようになります。そして、「一九七八年、エヴァが胃癌になり、手術を受けた。その後、彼女は夫のビタミンC療法を信じて毎日ビタミンCを大量摂取したが、一九八一年十二月七日、再発した癌により逝去した。(p.208)」と言う切ない話が残っています。

ビタミンCががんに効くのかどうかと言うことは、専門外の僕にはわかりませんが、メインストリームでは否定されているようです。


ポーリングだけでなく、ワトソンやパウリやマリスのように、自分の専門外の分野で、科学的ではない主張をするようになる人たちがいます。


エモリー大学教授の心理学者スコット・リリエンフェルドは、ノーベル賞受賞者が「万能感」を抱くことによって、専門外で奇妙な発言をするようになる症状を「ノーベル病」(p.290)と呼んでいます。

ノーベル病には、どんなに素晴らしい人でも、油断すると罹患するのかもしれません。


ノーベル病の原因を僕なりに考えてみました。


学問を再現性のある順番に並べてみると、

数学>物理・化学・工学>気象学・生物学・医学>心理学>宗教・神秘体験

となるかと思います。


数学は、ごまかしが効きません。論理的に矛盾することは許されない世界です。

物理・化学・工学も、ほぼごまかしが効かず、理論の予測を検証しやすい分野です。

気象学・生物学・医学は、複雑系を扱うので、物理・化学・工学ほどの再現性はありません。

心理学は、そもそも心理学の用語自体を明確に定義することが難しい。心のシステムはどうやら非常に複雑で、再現性がキープできるかもわかりません。また個体ごとの差が大きすぎるし、全く同じ環境と言うのはあり得ないので、科学的アプローチには限界があります。

宗教・神秘体験は、再現性がなく、科学的アプローチには不向きと言えるでしょう。


分野ごとに、事象の予測精度は異なります。例えば物理の分野で星の誕生から死までを描くことはできます。しかし、心理学で、彼女がいつ彼氏に愛想をつかすのかを予測することはできません。


ノーベル病になってしまった天才たちは、どうも、再現性の精度が低い事象を、再現性のある部分にしか成り立たない科学的アプローチを使って説明しようとしているように見えます。


僕自身、元々エンジニアで今は臨床心理学をやっているわけですが、その転換の動機の中には、「説明できないもの」に対する興味がありました。かつて僕は機械工学の中の破壊力学と言う分野の勉強をしていました。そして僕が作ったオリジナルの式が実験結果と一致したことに喜びを感じたものです。


でも、どうやら世界には、予測不能な出来事が時々起こるわけです。信じられないような幸運やその逆の不条理。世の中はそういったものに溢れています。久しぶりに偶然に出会って幸せいっぱいそうな元同級生が、次の週に飛行機事故で亡くなるなんてこともありました。尊敬しているけどお会いする機会はないだろうと思っていた人と、いろいろな偶然が重なって一時期仕事を手伝うようになったこともありました。これらの出来事は、偶然の為せるわわざなのでしょうけれど、元技術屋としては、何か納得できるような説明をつけたくなってしまうのです。


心理学に興味を持ったのも、そうした動機があったのかもしれません。最初は、精神分析で人の心を解明することができるだろうと思って始めたのです。でも結局わかりませんでした。今、僕の座右の銘にしているのは、河合隼雄さんの「人の心はわからない」と言う言葉です。


ノーベル病になってしまう人たちは、説明することを諦めなかった人たちなのではないかと思います。ただ、それを、あくまで科学のアプローチでやろうとしてしまったのが間違いなのでしょう。


「天才研究者」も異なる分野では素人です。ノーベル賞など大きな賞を受賞した人たちの中には、全能感を持ってしまい、自分にはなんでもできると考えてしまう人もいるかもしれません。でも、「天才研究者」も人の子ですから、失敗もします。特に専門分野以外では・・・。


そして、大事なのは、「天才研究者=人格者」と考えてしまうのも「天才研究者=異常人」と考えてしまうのも偏った考えであるということです。普通の人々と同じように人格者になる場合もあれば、異常人になってしまう場合もあるのです。


また、「天才研究者」を「◯◯大学卒」とか「大企業社長」などに言い換えてもいいかもしれませんね。


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