見出し画像

「現代思想入門」 千葉雅也著 講談社現代新書

デリダもドゥルーズもフーコーも、そしてマルクスも、かつて読もうとして、ことごとく挫折しました。僕には、哲学は向いていない・・・いや理解できないと思っておりました。この本に出てくる人たちの中で、読めたのは、フロイトだけです。ラカンは、解説書を読んだことがあります。精神分析は、多分、症例が出てくるから、なんとなくわかったつもりになったのでしょう。


しかし、この本は、完走できました!しかも、ワクワクしながら読めました。そのことが、まず嬉しい。
そして、現代思想についての大枠を理解できたかなと思います。


構造とは、ほぼ「パターン」と似た意味だと思います。そして、ポスト構造主義とは、「パターン」からの逸脱をテーマとしているのでしょう。


デリダは、二項対立を「脱構築」するという新たな提案をした(p.25)人なのだそうです。二項対立とは、二項対立論理学で、二つの概念が矛盾または対立の関係にあること、また、概念をそのように二分すること(p.25)とのことです。「コロナは風邪か?厄介な感染症か?」なんていうのも、二項対立になるのでしょうね。


「現代思想は、差異の哲学である」と著者は言います。「差異」は「同一性=アイデンティティ」と対立します。同一性と言ってもそれは、著者の言葉では「仮固定的」なものであり、現代思想は、その仮固定的同一性と差異の間を行ったり来たりして、探求していくものなのかと思います。


探求の方法としては、例えば、

①まず、二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方するような別の論理を考える。しかし、ただ逆転させるわけではありません。  ②対立する項が相互に依存し、どちらが主導権をとるのでもない、勝ち負けが留保された状態を描き出す。  ③そのときに、プラスでもマイナスでもあるような、二項対立の「決定不可能性」を担うような、第三の概念を使うこともある。(p.32)

となります。


ドゥルーズは、同一的だと思われているものは、永遠不変に一つの固まっているのではなく、諸関係の中で一時的にそのかたちをとっているとし、そのことを「準安定状態」と呼びました(p.52)。「準安定状態」は、著者の言う「仮固定」と同義です。ドゥルーズの哲学のキーワードは、「差異」であり、同一性よりも差異の方が先にくるとしています(p.49)。


フーコーが注目したのは、正常と異常の二項対立。世の中は、「正常なもの」は基本的に多数派で、厄介なもの、邪魔なものが「異常」(p.71)と、取り決められています。また、支配を受けている人々は、ただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造がある(p.68)と考えました。


そして、色々変なことをする人も、閉じ込めたりしないで普通に共存している状態(p.71)が、フーコーの考える理想的な社会の状態なのでしょう。 


ここまでが、この本の前半部分です。その後、現代思想の源流としての、ニーチェ、フロイト、マルクスの解説、精神分析と現代思想の関係、ポスト・ポスト構造主義の解説になります。


その中で、日本の現代思想から出てきた「否定神学的」な考え方に興味を持ちました。「否定神学」とは、「神々とは何々である」と積極的に特徴づけるのではなく、神を「神は何々ではないし、何々でもなく・・・」と、決して捉えられない絶対的なものとして、無限に遠いものとして否定的に定義するような神学です(p.135)。


人間は、本質的に捉えきれない何か=否定神学的Xをめぐって翻弄され続ける(p.166)有限な存在なのでしょう。


謎のXに到達することはできません。ですから、我々にできることは、謎のXを突き詰めず、生活のなかでタスクをひとつひとつ完了させることなのでしょう。著者が言うように、「主体とはまず行動の主体なのであって、アイデンティティに悩む者ではない(p.167)」ので、ひとつひとつできることをやっていけばいいのかもしれないですね。


とても難解な内容を、丁寧に解説してくれた本でした。また、いくつかの入門書を示してくれているところがありがたいです。



以下に、備忘録的に本書に出てきた用語とその解説を示します。


構造とは、およそ「パターン」と同じ意味。p.18

ポスト構造主義は、逸脱を問題(テーマ?)にしている。p.19


第1章 デリダ

二項対立とは、二項対立<dichotomy>論理学で、二つの概念が矛盾または対立の関係にあること、また、概念をそのように二分すること。p.25

パロール:話し言葉、直接的な現前性、本質的なもの

エクリチュール:書かれたもの、間接的な再現前、非本質的なもの p.36


第2章 ドゥルーズ 

アクチュアル(現働的):AとBという同一的なものが並んでいる次元。

ヴァーチャル(潜在的):その背後にあって蠢いている諸々の関係性の次元。p.51

準安定性:同一的だと思われているものは、永遠不変に一つの固まっているのではなく、諸関係の中で一時的にそのかたちをとっていること。p.52

「生成変化」;英語ではbecoming。仏語では、ドゥブニール。ドゥルーズによれば、あらゆる事物は、異なる状態に「なる」途中である。 p.53

「出来事」;1人の人間もエジプトのピラミッドも「出来事」。p.53

「リゾーム」;多方面に広がっていく中心のない関係性のこと。p.59

「非意味的切断」:リゾームはあちこちに広がっていくと同時に、あちこちで途切れることもある。p.59

「逃走線」:全体性から逃れていく動き。p.61


第3章 フーコー

「規律訓練」;自己監視する心。誰にみられていなくても自分で進んで悪いことをしないように心がける人たちを作り出す。p.74 個人に働きかける権力の技術 p.79

「生政治」;人々を、集団、人口として扱う。即物的なレベルで機能する。p.79

第4章 現代思想の源流 ニーチェ、フロイト、マルクス

ニーチェ

「アポロン的なもの」;秩序を志向する

「ディオニュソス的なもの」;混乱=ヤバいもの p.98 =無意識


第5章 精神分析と現代思想 ラカン、ルジャンドル

ラカン

本能とは、「第一の自然」

人間はそれを「第二の自然」であるところの制度によって変形するのです。 p.119

「制度」は、「別様でありうるもの」。「本能」とは固定的で、そうでしかあり得ないもの。 p.119

死の偶然性と隣り合わせであるような快を、ラカンは「享楽」(jouissance)と呼びました。 p.123

「想像界」はイメージの領域、「象徴界」は言語(あるいは記号)の領域。この二つが合わさって認識を成り立たせている。「現実界」は、イメージでも言語でも捉えられない、つまり認識から逃れる領域。 p.126

ラカンの理論は、カントのOSに対応する。・・・著者の考え。(想像界→感性、象徴界→悟性、現実界→物自体) p.126

サントーム;その人の特異性、存在の偏り p.138

ルジャンドル

ドグマ 融通の利かない、いかなる批判も許さない決めつけ。 p.131

否定神学 「神々とは何々である」と積極的に特徴づけるのではなく、神を「神は何々ではないし、何々でもなく・・・」と、決して捉えられない絶対的なものとして、無限に遠いものとして否定的に定義するような神学です。 p.135

第6章 現代思想の作り方

マラブー 形態の可塑性

可塑性:全ては仮固定的に形態を持ちながら差異化し変化していくと言うこと。 p.150


第7章 ポスト・ポスト構造主義

ハーマン 事物はひとつひとつ絶対的に孤独であり、それ自体に引きこもっている=退隠している。それが本来の一時的なもののあり方で、関係というものは二次的で、現象的なものである。 p.160

ラリュエル 非哲学とは何か。それは、これまでの哲学すべてに対して外部的であろうとする理論です。 p.161

東浩紀は、否定神学的Xから「複数的な超越論性」へ向かう、と言う方向づけを示しました。 p.165




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?