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「デマ・陰謀論・カルト」 物江潤 著 新潮新書

僕は、ずーっと前、1980年代に「ニューサイエンス」なるものに関心を持ったことがあります。これからなんらかの大きなパラダイムシフトが起こるのではないか?と思ってたくさんの本を読んだのですが、次第に疑問を持つようになりました。事実が確認されていないことをあたかも事実であるかのように書かれているものが多かったからです。


同時期にスピリチュアリティにも興味を持ち始めましたが、それが行き過ぎると危険だと感じました。禅仏教やトランスパーソナル心理学が、その危険性について記述していましたが、そうした「危険性の指摘」については、当時も(今も)あまり話題になりませんでした。


やがて、オウム真理教事件が起きました。しかし、日本はそこからあまり学んでいないのではないかと思います。オウムと同じような思考パターンが現在も脈々と生きているように思えるからです。


例えば、科学とスピリチュアリティの混同は、今でもあちこちで見られます。量子力学でスピリチュアリティを断定的に説明しようとしているアカデミズムの世界の人たちもおられました。僕は、それはカテゴリーエラーだと考えています。


著者が言うように、「科学は仮説でありモデル(p.81)」です。断定的に主張できるようなことはありません。どうしても「~の可能性がある」「~は否定できない」といった曖昧な表現になりがちです(p.81)。


僕は、元理系なせいか、「~の可能性がある」「~は否定できない」と言う表現が心地よいのですが、世の中は、必ずしもそうではないようです。


もう一つ、大事なことは、科学の語り得る範囲は、狭いと言うことです。理想的な条件の中で、理論的に何かを予測することはできます。素粒子の世界など、非常にミクロな世界での出来事を確率的に知ることはできますし、超マクロの宇宙の未来を予測することはできます。しかし、例えば複雑系についての正確な予測は、今のところできません。地震がいつどこで起きるかも、台風の進路も明日の天気も正確に予測することはできません。


数学で、フェルマーの最終定理を証明することはできました。ただ、その定理はあっけないほど単純です。


フェルマーの最終定理とは、「x^n+y^n=z^n(nは3以上の自然数 ※^nはn乗を表す)となる自然数の組(x、y、z)は存在しない」と言うものです。もっと簡単に記述すると、「二乗より大きいべきの数を、同じべきの二つの数の和で表すことは不可能である」となります。


ちなみに、3の二乗は9、4の二乗は16、それを足すと25になります。25は5の二乗です。だから、x^n+y^n=z^nはnが2のときまでは、成り立つ自然数は存在するのですが、nが3以上だと存在しないんですね。


それがわかったところで、僕の人生にどんな影響があるんだ?と思ってしまいます。そして、それを証明するのに300年の年月が必要だったのです。


このように、数学ですら、断定的に記述することは、こんなにも大変なのです。


人の心って、その集合である集団の心理(陰謀論を含む)は、あまりに複雑すぎるため、断定的に記述することは、今のところできないと僕は考えています。

僕は、科学もスピリチュアリティも好きですが、いわゆるエリートと呼ばれる人たちや知的な分野の仕事に携わっている人たちの中に、断定的な物言いをする人が増えているように思えるし、中には結構過激な陰謀論にのめり込んでいる人もいるので、少々心配しております。そう言うわけで、この手の本を最近立て続けに読んでおります。



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