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「流星ひとつ」 沢木耕太郎著 新調文庫

その歌を最初に聴いたのが、中学1年の時だったと思います。
「15、16、17と、私の人生暗かった 過去はどんなに暗くとも 夢は夜ひらく♬」という絶望、「1から10までバカでした。バカにゃ未練はないけれど 忘れられない奴ばかり 夢は夜ひらく 夢は夜ひらく♪」というとどめ、低いどすの利いた声、無表情で歌う少女。

藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」という曲です。「夢」は非現実の世界・・・あるいは、死の世界すら連想させました。藤圭子のことは、若い人は知らないかもしれませんが、宇多田ヒカルのお母さんで、シングル34枚で、総計700万枚売った人です。

デビュー当時、藤圭子のことは綺麗な人だとは思ったけれど、暗い、暗すぎると思っていました。そして、彼女には、いろいろな悪い噂がつきまといました。「不幸を売り物にしている」「母親の目が見えないというのはウソだ」「男と同棲している」などなど、20歳前の女性に対してあまりに厳しいバッシングが浴びせかけられました。後から分かることなのですが、そのほとんどが事実無根でした。

藤圭子は言います。「何も知らないのに、なんてひどいことを言うんだろう、と思ったよ。自分の母親が、目が見えないってことが、一体どんなことかも知らないくせに、なんてひどいことを・・・。あたしのお母さんに会ったこともないのに、嘘だなんて、どうして言えるんだろう。あたしの歌なんか売れなくたって、お母さんの目が見える方がどれだけいいかしれないのに。無責任だよ、ひどすぎるよ」(p.27)

僕も、そのひどい人の一人です。大人たちの意地悪い噂話に乗っかって、「どうせ、演歌歌手なんて、売るためにお涙頂戴のストーリーを作っているんだよ」なんて言っていた生意気な中学生でしたから。

この本は、引退を決意した28歳の藤圭子に沢木耕太郎が、ホテルニューオータニの40階にあるバーでロングインタヴューしたものです。全て二人の会話だけで進行していきます。そして、藤圭子の言葉一つ一つが胸に刺さります。

沢木耕太郎のインタビューには凄みがあります。小さなほころびから、本質を引き出していくのです。宇崎竜童作曲、阿木耀子作詞の「面影平野」という藤圭子の曲があるけれど、とてもいい曲なのにそれほど売れなかった。それはなぜなんだと沢木氏は、藤圭子に執拗に突っ込んでいきます。そこで行き当たるのが藤圭子にかつての力がなくなったと言う苦しい現実でした。藤圭子は27歳の時一時的に声が出なくなり、病院でポリープがあると診断され切除手術をしています。その後、とても微妙な変化ですが声の質が変わってしまったのです。それまでのためて吐き出すような高音が、透き通ってしまった。そのことに最初に気づいたのは本人と目の見えない母親でした。

そこから、藤圭子にとって歌うことは恐怖になっていったのです。無心に無表情に歌っていた藤圭子の目に世界が見えるようになった。見えてくると、世界は怖い。そして、彼女は、自分の歌に満足しないまま歌う欺瞞を許せなくなったのではないのでしょうか。

沢木耕太郎は、このインタヴューを、2つの傑作「テロルの決算」と「一瞬の夏」の間に書き上げています。沢木耕太郎の初期で最も脂の乗っていた時期です。でも、彼はこのインタヴューを発表しませんでした。藤圭子が許可しているにも関わらずです。この作品を世に出す決意をしたのは、藤圭子が自殺という形で人生を閉じ、その原因が精神疾患とされそうだと感じた時のことだそうです。インタヴュー後、33年の年月が経っていました。

歌手として頂上に登った時何があったのか聞かれた藤圭子は、「何もなかった、私には何もなかった」と答えています。そこに僕は、彼女の深い孤独を感じてしまいます。


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