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「F1地上の夢」 海老沢泰久 著 朝日文芸文庫

日本が、ホンダが最も熱かった時代の物語です。オートバイでトップになったホンダは、本田宗一郎の強い意志によって、F1に参戦します。しかも、エンジンとシャーシの全てのパーツをホンダが作成するというものでした。

 

驚くのは、ホンダは、AS500という小さなスポーツカーとK360という軽トラックを販売し始めたばかりの自動車メーカーとしては新参者だった1963年に本田宗一郎がF1参戦を表明し、1964年に実際に参戦したことです。

 

これは無謀な挑戦と多くの人たちからは思われたでしょう。最初は散々でした。直線で圧倒的なスピードを誇るホンダのマシーンは、カーブからの立ち上がりに難があったのです。そこからのメカニックたちの格闘が凄まじい。そして、F1参戦2年目の最終戦であるメキシコグランプリ(1965年10月24日)において、リッチー・ギンザーの駆るホンダが優勝するのです。その時の監督の中村良夫が日本の本社に送った電報の文章は「Veni Vidi Vici」、カエサルの言葉「来た、見た、勝った」でした。・・・ちょーかっこいい。こんなセリフ言ってみたいものです。

 

ホンダのエンジンは、当初からF1のワールドチャンピオンだったジャック・ブラバムやジョン・サーティーズから興味をもたれ、F2で、ジャック・ブラバムとデニス・ハルムのドライブにより12戦中11勝する快挙を成し遂げます。エンジニアリングの世界では、差別なんてないのです。いいものはいい。そして一流のプレーヤーは一流を知るのです。

 

ホンダのF1参戦の第1期は1964年〜1968年でした。第二期の1983年からはエンジンを提供するという形でF1に参戦します。そして、1986年に、ウィリアムズホンダが16戦中9戦を制しコントラクターズチャンピオン(車種別によるチャンピオン)になります。ドライバーのワールドチャンピオンは、残念ながら、マクラーレンポルシェを駆るアラン・プロストに持っていかれました。この時のアラン・プロストのクレバーさがすごい。最終戦で、ホンダのナイジェル・マンセルとネルソン・ピケを逆転するのです。

物語は、ここで終わりますが、その後、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、アラン・プロストがホンダのマシーンで向かうところ敵なしの黄金時代を迎えます。

 

この本の主役は、妥協しないホンダのエンジニアたちです。彼らは、相手が誰であろうが、コーリン・チャップマンであろうが、フランク・ウィリアムスであろうが、一歩も引けをとりません。主張すべきことを主張します。その熱さにしびれます!そして、そのジャパニーズドリームの中心に本田宗一郎がいました。

 

この本に登場するのは、ジム・クラーク、ジャック・ブラバム、コーリン・チャップマン、フランク・ウィリアムス、ブルース・マクラーレン、ジョン・サーティーズ、グラハム・ヒル、ジャッキー・スチュワート、ヨッヘン・リント、生沢徹、浮谷東次郎、ジャッキー・イクス、ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、ゲルハルト・ベルガー、アラン・プロスト、そして、アイルトン・セナ。懐かしい名前がいっぱいでした。


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