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「ヒトラーの試写室」 松岡圭祐 著 角川文庫

この小説は、事実に基づいて書かれたものだそうです。主人公の柴田彰は、大工の子で俳優を目指しますが果たせず、円谷英二率いる特殊技術課に所属することになります。


そこで、柴田は様々な技術をマスターします。自分が俳優としてのオーディションに落ちた映画「新しき土」では噴火シーンの撮影に携わります。また、戦意高揚映画「ハワイ・マレー沖海戦」では、10分に及ぶパールハーバー攻撃やマレー沖海戦の場面の特撮にも関わります。この本を読んでいるときに、ネットで調べて見てみたのですが、パールハーバ攻撃のシーンは凄まじいです。魚雷が海を進んでいって戦艦に命中し水柱をあげ、戦艦は大破し白煙をあげ沈没していくシーンは、何も言われなければ、今でも実写と思ってしまうでしょう。これを1942年に作ったのですから、円谷組の技術は界最高レベルだったのだと思います。ちなみに海は寒天で作り、爆破の白煙は砂と砂糖を混ぜたもので作ったのだそうです。


この小説では、この「ハワイ・マレー沖海戦」の特撮シーンを見たヒトラーがゲッベルズに日本の特撮技術者派遣を依頼するように命じるのです。


当時、ゲッベルスは芸術的な成功ではなく、大衆を扇動する娯楽大作映画の必要性を痛感しており、世紀の大事故として記憶に新しかったタイタニック号の沈没事故の映画化を進めていました。「英国船籍のこの船の失敗を描くことで、英国人の愚かさを観客に印象づけることができると考えた(p.376)」からです。しかし、その肝心の沈没シーンがうまくいかない。撮影されたシーンは、明らかに模型とわかるタイタニック号が小舟のように揺られ沈んでいくという情けないシーンでした。


ゲッベルズからの依頼によりドイツに派遣されたのが柴田なのです。そこで、柴田はタイタニック号の沈没シーンを見事に成功させ、名誉ナチス党員になります。しかし、柴田は仕事が終わっても日本に帰ることができませんでした。日本とソ連の関係が微妙になったからです。


その後、ドイツの敗色が明らかになった頃、柴田のアイデアが、あるプロジェクトに適用されます。これはネタバレになるので、書きません。


ストーリーも面白いし、人物描写にもリアリティがありました。そして、とても興味をそそられたのが、いかに特撮が行われたかについて書かれている部分です。円谷英二とそのスタッフの独創性と職人技には驚かされます。

しかし、考えさせられるのは、太平洋戦争直前の日本の状況です。高峰三枝子主演の映画「暖流」が大入りとのことですから、1939年頃の状況でしょう。


その頃の日本といえば;

・和男が二歳になったころ、政府が金製品を強制的に買いあげると発表した。それまで当たり前のように入手できた金属類が、しだいに不足しだした。(p.74)

・男の長髪と、女の巻き髪を禁止する布告もなされた。(p.74)

・いつしか独ソが対立しだしていた。アメリカも宿敵のごとく報じられている。(p.74)

・石油が統制品に指定され、配給制となった。揮発油券がなければ重油もガソリンも買えない。(p.74)

・ほどなくストーブ自体が製造中止になり、木炭の配給が始まった。(p.75)

・流しのタクシーが路上から消えた。百貨店の催し物も自粛された。銑鉄鋳物制限令なるものが発せられ、四十七品目の製造が禁止された。文鎮や灰皿、花器、貯金箱のほか、電気スタンド、額縁、椅子、さらには看板、交通標識まで含まれる。撮影所の保管庫からは、該当する小道具や大道具の盗難が相次いだ。(p.75)

・物資総動員計画により、使用制限三十三品目が発表された。鋼材、金、銅、アルミ、石綿、綿花、羊毛、紙、木材、生ゴム。特技課にとっては死活問題だった。(p.75)


この状況で、日本は、真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争に突入していったわけです。そして、ミッドウェー海戦で日本軍が大敗した頃、円谷らが製作した「ハワイ・マレー沖海戦」が、戦意高揚のため上映されたのです。


戦時下の政府というのは、勝手なものです。


ちなみに、主人公の柴田彰は偽名で、モデルがいたのだそうです。


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