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『響き煌めく境界線』に行った感想をゆる~く記すよ。 第一回:『MIKUBUDDHA』『MIKUTATOO』編


記事の3行要約(AI使用)

  • 『ひびきら』展示会の来場者は多く、人混みに少し圧倒されながらも楽しめた。

  • 展示会で初めて見た『MIKUBUDDHA』『MIKUTATOO』は、その実在性を強く感じさせるものだった。

  • 初音ミクとは現代人にとって解脱した存在であり、つまりブッダだという独自の表現が注目を集めている。

(以下、本文)

はじめに ~『ひびきら』に行ってきました!


先日、縁あってアーティストチーム『ー間ー』(あいだ)の展示会、『響き煌めく境界線』(通称:ひびきら)に行ってきました~!
自分が行ったのは二日目のお昼過ぎだったのですが、その時点で会場には来場者がおそらく20人くらいは居たのではないでしょうか?
想像以上の人混みに少し気圧されながらも、たっぷり2時間ほど楽しませて頂いた次第でございます。

さて……
本来、このnote記事では展示会の現場にて『ー間ー』のお三方に色々と(ぬけぬけと)伺った,展示についての解説などを書こうと思っていたのですが、

……なんと、それはもうご本人が記事を書かれているということで!
部外者の私が語るまでもないと思われますので、展示や『ー間ー』について詳しく知りたい方は、どうぞ上記のリンクから佃さんの記事を御覧くださいませ。

ということで、特に書くべきこともなくなったので、
ここからは私の『展示会に行った感想』を書かせていただこうと思います。

私と同じく実際に展示会に訪れた方は、その時の記憶を思い出しながら、
惜しくも展示会に行けなかった方は以下のアーカイブ動画をご覧になりながら、一緒に『ひびきら』についての感想を共有できたら嬉しいです。

第一回:「初音ミク」=「仏」!? わからなそうでちょっとわかる概念……『MIKUBUDDHA』『MIKUTATOO』


”現代人にとって、初音ミクとはブッダである。”

……突然こんなことを言われても、9割方の人は何がなんだかわからないのではないでしょうか? わかりませんよね?
ちなみに私はわかりませんでした。(1敗)

私がこの文言を目にしたのは、『ひびきら』の展示会にて手渡された一枚のパンフレットの中。

これは人形作家・猪瀬暖基氏が制作した『MIKUBUDDHA』『MIKUTATOO』の制作コンセプトとなっている概念で、曰く「初音ミクとは現代人にとって”解脱”した存在であり、ゆえにブッダなのである」ということらしいです。

……つまり、どういうことなのかというと。

仏教世界において、”ブッダ”とは世の中の至る所に存在するものらしいです。

この世の中の至る所というのがミソでして……例えば、街を歩いていてどこかの飲食チェーンが初音ミクとコラボしていれば、その店頭のノボリに初音ミクがいたりしますよね?
また、自治体のコラボなんかでは市役所のポスターの中だったり、近年では感染症対策の注意喚起ポスターの中だったり……

と、よくよく目を凝らして見てみれば、現代に生きる私達は、私達の生活の至るところに初音ミクの存在を見つけることができます。

どうやら猪瀬氏は、ここに「初音ミク=ブッダ」のつながりを感じたそう。
つまり現代人にとって、初音ミクとはブッダなのである!

……うーん、私にはまだよくわかりませんでした。(2敗)
ですが、別に無理して「完全に理解しよう!」などと思わなくてもイイのではないでしょうか。(身も蓋もないですが)

そもそも、アートとは表現とは、何か正解を求めて臨むものでは無いはず。
であるならば、「わかりそうでわからない」「わからなそうで、けどちょっとわかる」、そんな曖昧でモヤモヤなまま「深いなぁ……」と呟くのもまた一興。

現に、展示会で実際に『MIKUBUDDHA』『MIKUTATOO』を目の当たりにした人であれば、その実在性に説明不要の『説得力』を感じたはず。

むしろ、こんな裏事情などつゆ知らず、


「なんかミクが仏像になってる……」
「このミクなんか仏っぽい……」

そんな理屈抜きの感想こそ、「ミク=ブッダ」の概念観に最も近い価値観なのかもしれませんね。

次回予告:第二回の内容について


次回(第二回)では、佃優河さんが製作された『蟲筆<般若心経>』についての感想をゆる~く書かせて頂こうと思っております。
良ければそちらもご覧になってくださいね。


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