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『響き煌めく境界線』振り返りPart.

自分もメンバーの一人であるアーティストグループ「-間-」で展示会をやりました。その名も「響き煌めく境界線」です。

今回のブログでは、ダラダラと文章を書かずにテーマに対して端的に書いていきます。章ごとで話題が細分化されるので、興味のある箇所を読んでくささると幸いです。


-間-の創設目的とは?

僕は東洋思想をベースに作品を組み立てていました。特に「空」の思想に関心があり、今でも空を作品制作に取り入れています。空とは、一つの事象や存在を単独で見るのではなく、その事象や存在が他の事象や存在との関係性の中で存在しているという考え方です。
ではコンピュータ技術の発達した現代における「生物と人間とコンピュータの関係性」はどのように変化していくのか?
これは師匠である落合陽一氏のデジタルネイチャーに影響された考え方です。
この思想を探究していく上で、僕一人では力不足を感じていました。生物に軸をおいて探求活動をしている自分では、人間を中心とした、またはコンピュータを中心とした探求活動はリソース的に不可能だと感じたからです。
「生物と人間とコンピュータの関係性を探求するアーティストグループを作りたい」
このように猪瀬、頃安に持ちかけました。彼らは同じ研究室に参加している作家仲間です。また、情報学部の我々にとって周りの作家と手を組むことは重要です。日々、作品や思想を議論できる人が少ないからです。このような経緯があり「-間-」は設立されました。

なぜ展示会を行ったのか?

この展示会を企画した目的を書いていきたいと思います。僕たち「-間-」は、これまで2回の展示を行ってきました。

これまでの展示は「グループ展示」、つまりそれぞれの作品に共通のテーマはあるものの3人の作家は各々別々の作品を制作し展示してきました。前の章で書いた通り、『生物と人間とコンピュータの関係性』をテーマに活動しています。メンバーの佃/猪瀬/頃安は、それぞれ生物/人間/コンピュータを軸に作家活動を行っています。
各メンバーの独自の探究活動は、チームでの数年の活動を通して互いに干渉しあい、カオスな思想を育んで行きました。今回の展示は、-間-の一つの到達点を別々の作品を展示するのではなく、三人の中で熟成されてきた世界観を表現するために、インスタレーションとしてまとまったものにしました。

チームでの佃の役割

三人と作家のコラボレーションというよりも共同体「-間-」の世界観の表現を目的にした本展示会。この企画での自分の役割は大まかに3役になったと思います。「プランナー」「フロアディレクター」「作家」
の三役です。
プランナーとしては、展示会のコンセプトや企画書を書いたりしました。旗を掲げて先導するようなイメージです。
フロアディレクターとしては、三人の作家の持つ思想や作品のコンセプトが映えるようなフロアプランを練ってみました。
作家としては、単純に自身の作りたいものを作りました。

プランナー/フロアディレクター/作家の図

ですが、結果としてこのような役割をしただけで、企画当初から役割を考えていたわけではありませんでした。

役割を自覚せずに企画が進む

これは明確な反省点ですね。3つの役割を1人で行うのですから、プランナー的思考で作品を作ってしまったり、逆に作家の思考でフロアデザインを行なってしまったり、、、 きちんと3役を自覚して切り分けて企画を進めていくべきでした。具体的な改善点を挙げてみましょう。
作家として作品を作り終わり、フロアディレクターとして現場でフロアプランを修正していた際に、「自分の探究活動は終わったから展示会のコンセプトが映えるフロアプランにしよう」と考えてしまいました。つまりは、フロアディレクターが作家を蔑ろにしてプランナーを優先したフロアプランにしてしまったのです。
せっかくなので、別の角度からこの問題を反省してみます。

作家"佃"はゴキブリを展示しなかった

今回の展示では、実物のゴキブリを全く展示しませんでした。要因はいろいろありますが、結局は「うまくやろうとしすぎた」ことが問題だと思います。僕はデザイナーや広告代理店の方のように、洒落の効いたクリティカルなコンセプトを考えることが苦手です。その代わり、パラノイア的妄想力や用いるミディウムは尖っている自信があります。この強みを消して、他の作家とうまく調和したまとまった展示会にしてしまいました。

ゴキブリが用いられていない般若心経の図

もちろん、展示会のクオリティとしては非常に満足がいっています。言い方を変えればプランナー&フロアディレクターとしては実力以上の展示ができたと思います。逆にフロアディレクター&作家としてはひよってしまったのが正直な感想です。会場の方ともっと話し合いをして展示できる作品形態を相談したり、ゴキブリを主張させたりしても良かったとも思います。
一方で「綺麗なインスタレーションだけど、ゴキブリで作った作品なんだぜ、これ」といったような一見普通だけどやばいことが裏で起こっている「秘匿される美」は魅力的だとも感じています。
どちらを優先するべきか迷っているので、結論は急がず両方とも試してみようと思います。

プランナーなのに金に無頓着

今回は文化庁から支援プログラムとして100万円規模の金銭支援もいただきました。

プランナーとしてこの予算規模をはみ出す展示は行なってしまったことに疑問があります。職も持たない学生3人が100万円規模の展示を行った上で予算をはみ出すとなると、揉める原因になってしまいます。揉めることはなかったですが「コミュニケーションコストが高くなってしまった→展示会のクオリティに割ける時間を削ってしまった」ことは事実です。自分を含めた作家に負担をかけてしまったのは事実なので今後は慎重になるべきでしょう。
良い勉強になりました。脛は痛いですが、、、

明日、続きをあげます!


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