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コミュニティマネジメント方法を宗教を題材に考えてみた

この題材で書きたいと思ったきっかけ

コロナで4月~7月にほぼ完全テレワークになったあと、うちの部の一人が退職してしまった。理由を聞くとテレワークで時間が余り、かつ、自分がやりたい仕事って何だろう?と真剣に考えちゃったそうだ。

ふむ…だとすると、雑談を増やそう!とか、コロナが落ち着いたからリアルで集まろう!とか、そういう表面的なものではない気もする。テレワークで、元々あった問題が顕在化しただけだ。

だとすると、様々な思惑がある人の集団があったときに、どうやって結束力を高めたらよいのだろう?オンラインサロンが流行ってるし、サービスだってサブスクが増えてきた。「コミュニティ(なんらかの人の集まり)」という概念はとても大事な概念になってるわけだ。

参考にしたのは宗教だ。だって宗教ってすごくね?キリスト教は22億人、イスラム教は15億人だよ?しかも、離脱率が非常に低い。ということで、世界最大の宗教であるキリスト教、その対抗勢力のイスラム教、そして仏教について比較をしながら、人のまとめかたについて考えてみたいと思ったのだ。

なお、スライドとしては纏まったのだけど、口語にして書き起こしながら、あれこれ手を入れていくので、ちょっとずつ書き足していく方法を取っていく。完結するかな…w

呪術と宗教

まず、僕らは宗教とは何かを考える必要がある。
神社で「神様、どうか、志望校に合格させてください!」って祈るやつ。あれ、厳密には宗教じゃないらしい。呪術なんだって(笑)

どういうことか。例えば、雨が降らなくて作物が全てこのままでは枯れてしまう…。神に祈ろう! ってのはよくあった風景だと思う(知らんけどね)。このときに祈祷師みたいな人がなんか儀式をして神にお願いすると、雨が降ったとしよう。そうするとさすが祈祷師様!ってことになる。

これが呪術らしい。どういうことかというと、自分(祈祷師)のエゴで神をコントロールしている。更に、祈祷師は、自分しか神にお願いできないという利点を使い、大衆とは違うポジションですよと言っている。でもこれだとどうなるだろう。祈祷師は、そのポジションをどんどん自分のために使い始めてしまうわけ。独裁だ。

一方で、宗教は違う。リーダーはあくまで大衆と同列。独裁ではない形でどうやって集団をまとめるか?という方法論だと理解した。

なお、キリスト教でも「奇蹟」という概念が出てくるが、これは、神が起こしたものなわけだ。お願いした人がすごいわけではない。また、奇蹟は誰かの私利私欲のためには決して起きない。入試が合格するとか、誰かが生き返るとか、そういうのは奇蹟ではないのだ。実は、その倫理性チェックのため、奇蹟の判定は非常に難しく、この400年くらいは起きてないらしいよ(すごいタイムスケール…)。この点でも、やたらめったら奇蹟を起こす、新興宗教の教祖様は実は呪術師に近いのかもしれない。

後で話したいと思うけど、このダークサイド(呪術化)に陥りやすいかどうか?というのは宗教のメカニズムを考えるうえで大事なポイントとなる!

呪術と宗教


さて、次からは、一神教(西洋)と多神教(東洋)の始まり方を紐解く。始まり方をみると、その後の発展の仕方や、今の思想の違いに反映されてることが本当によくわかる!

中二病のいじめられっこが作った一神教?

西洋は、一神教が多く信じられている。その始まりはユダヤ人の苦悩から始まっている。

彼らは、400年間エジプトで奴隷をして、その後、モーセの導きでエジプトから逃れるものの、40年間流浪の旅に出る。パレスチナ人を大虐殺してイスラエルを占拠し、ようやく安住の地を手に入れた…と思ったらば新バビロニアから攻められ、強制移住させられる。ユダヤ人は、精神的不安定な状態に晒された人たちなのだ。(とはいえ、パレスチナ人を大虐殺したりしてるから、被害者というわけでもない)

”エジプト人たちは楽しく生きてるのに、どうして僕らは…”

そう思ったかもしれない。でも、そこで、じゃあエジプト人たちが信じてる宗教に乗り換えよう!とか、そんな安易な道を取らない。

”いや、、、逆に、俺らが苦難を与えられたのは選ばれし民だからじゃね?エジプト人達は、神からみたら耐えられそうもないから苦難を与えないんじゃね?”

と、自分たちの置かれた環境を逆手に取り、苦難をも与える絶対神を作り出したのだ。これ、いじめられっ子が、自分を守るためにやるやつだよね。斉木楠雄のΨ難でいうとこの海藤瞬。ちなみに、彼は、こんな性格だ。

闇のフォース『ブラック・ビート』を右腕に宿し、その力をダークユニリオンに狙われている。13の人格を持ち、たまに見せる大人しい人格は「冥」である。しかし、この人格も大人しく見せているだけで実は残虐な性格をしている。

ここでポイントとなるのは、「自分を守るために作った」「行動ではなく認識を変えることを推奨」という点だ。

一神教の始まり


裕福で学者気質のおぼっちゃんが作った仏教?

東洋では、仏教をはじめとした多神教が信じられている。その中の一つ仏教がどう生まれたかを紹介する。

ガウタマ・シッダールダは、強い身分制度があったインドにおいて、大国コーサラの属国の王子だ。街では貧乏な人をみたり、お父さんがペコペコしてるのみたり、でも自分はそこそこ幸せだったり。様々な「狭間」をみて、いろんな感情が生まれたんだと思う。よく、衣食足りて礼節を知る とかいうと思うんですが、それなりに自分が満ち足りてないと世の中どうしてこんなに矛盾なんだろう?なんて考えないと思うんですよ。

ガウタマ・シッダールダは、おぼっちゃんだったから、この道を突き進められたんじゃないかなと思います。結果、人として正しい道(八正道)を作りあげた。

ざっくり言うと、「欲を捨てれば、誰でも仏になれるよ」ということなんだけど、これは相当つらい(笑)。お酒もダメだし、セックスもダメだからね。考え方としてはわかるだけど辛すぎるってやつ。

実際に「いやいや、欲を捨てれば仏になれるっていうけど、実際、仏になったのブッタだけじゃんw 弥勒菩薩ですらあと5億年の修業が必要じゃん。無理ぽ」 って声が修行者からあがり、ややルールが柔らかい大乗仏教っていう概念になっていった。

ここでポイントとなるのは、「周りを守るために作った」「認識ではなく行動を変えることを推奨」という点だ。一神教と真逆だよね。こう考えると、仏教は、科学(行動経済学、認知心理学?)に近い概念に思える。

仏教の始まり

こうやって生まれた一神教と多神教。それぞれ全く真逆の山の登り方をしてるようにも思える。これらが結果的にどうやって人々を束ねていったのか?そのときのポイントとは何か?乞うご期待!(また次回)


ルールとリーダーと大衆への接し方で比較する宗教

リーダーの気持ちと大衆の気持ちで比較する宗教

分裂を繰り返したキリスト教の歴史

じゃあ日本教ってなんなわけ?

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