攻略本
1年に2本しかゲームを買ってもらえない幼少期を過ごしていた。
別に貧乏だったとか家が厳しかったとかではなく、単にそういうルールだったのだ。
小学校5年生くらいまでは毎年2本、半年に1本のペースでソフトを髄までしゃぶりつくす生活をしていた。
「一つのゲームと向き合う、とことんやりこむ。」という僕のゲームに対する姿勢はこの環境で育まれたのかもしれない。
25年以上向き合ってる魔界、もはや第二の故郷
話が脱線したが、当時の僕は半年1本のペースではとてもとてもゲームに対する飢えを満たすことはできず
友達と一緒にロックマンゼロごっこをしたり、校庭に3×3のマスをかいて脳内ネットワークバトルをして気を紛らわせることもあった。
そんなゲーム脳の僕の心をつないだのは、今では概念すら怪しくなった攻略本であった。
かつてインターネットで簡単にゲームの攻略法が見つからなかった時代。個人のブログだとか、ワザップで出鱈目な裏技を教えあっていた時代だ。ポケモンのセレクトバグを調べるのに大技林をめくらなければならなかった時代
ソシャゲもなく、ゲームのカテゴリーが据え置き機と携帯機だった頃に存在したアーティファクト。それが攻略本だ。
"超絶大技林"ってネーミング、性の裏技が載ってるとしか思えねぇよ
僕の実家はゲームは年2本しか買ってくれない癖に、どういうわけか書籍に金は惜しんではいけないという家訓の元、攻略本だけは比較的自由に買ってもらう事ができた。だから幼少期から中古の100円の攻略本をブックオフで手当たり次第買っては、家でずっと読んでいた。
小2だかの読書感想文でFF8のアルティマニアの感想を提出して担任にぶっ飛ばされたこともある。(担任だったK本K子てめぇぜったい許さねぇからな)
機内に持ち込める鈍器
普通、攻略本というのはゲームソフトとセットで買うものだが、僕にとっては知らないゲームを脳内でプレイするための立派なゲームソフトだった。
だから、攻略本を読んで内容全部知ってるけど、実機でやったことがない。というゲームが中学生くらいまでは結構あった。
中学に進学した頃には小遣い制となり、中古のゲームは手当たり次第にやるようになったがそれでも攻略本はコンテンツとして確固たる地位を築いていた時代があったと思う。
というか、当時の攻略本は攻略内容もさることながら、ゲームクリエイター同士の対談が載ってたり、画集や設定集、やりこみ要素として現在の"RTA"の走りともいえる"早解き"のテクニックなど、独自の要素が盛り込まれてて読み物としてめちゃくちゃ面白かった。
そういう背景もあり、攻略本っていい文化だったなぁと思うこともたまにある。
(補足すると、攻略本は絶滅してません。ポケモンドラクエFF、あつ森とかメジャーなタイトルはちゃんと分厚いのが出てます。文化として区切りを迎えたなという印象を僕個人が持っているだけ。)
導入がクソ長くなったが今日のテーマは攻略本である。
人生の攻略本
日記をつけたことはあるだろうか。
僕は大学1年生から3年の終わり頃までの3年ほど、なにか習慣づけたいと思って日記をつけていた時期があった。
日記と言ってもウィークリーのスケジュール帳に一日の終わりに、その日あったこと、思ったこと、感じたことを取り留めもなく書くだけのものであった。
ハードルは低くないと習慣にならない。そう思ったからだ。
二日酔いでもインフルエンザでも書けるくらい低いハードルなら超えられない言い訳のしようがない。
最初はその日にあったことや思ったことを書く、いわゆる普通の日記だったが、だんだん書くことは増えて、その日あったニュース。その日のバイトのミス、どうやってミスをフォローしたか。友達との雑談。ナンパした女の子のプロフィール…
日記というよりもう雑記帳になってしまっていたが、毎日記録を残すのは楽しかった。失われていくばかりだと思っていた時間がきちんと積み重なっているのが目に見えるようでうれしかった。
日記とは面白いもので、ウィークリーのスケジュール帳の数行書き込めるかどうかというわずかなスペースに、その日一日の情報を詰め込むのがとても具合がいい。
デイリーのでかいページに制限なく情報を書き連ねるより、限りあるスペースに対して、如何に濃密で洗練された情報を書き込むか。
情報を取捨選択するエディターシップを感じてとても面白かった。
制約がコンテンツの完成度を高めることを示す好例
いつしか日記を書くことが楽しくなった。
毎日、日記のネタを探していた。
そしてそうやってため込んだ日記を僕は、"人生の攻略本"と名付けてなにかあるごとに立ち返る場所にしていた。
就職活動が始まった。
第一志望の会社の三次面接で
「人と変わった習慣はありますか?」
と聞かれた。
僕は運命だと思った。ここで出さねばいつ出すんだ。
僕はその時もビジネスバッグに忍ばせていた"攻略本"を面接官に提示した。
面接官は僕のアルティマニアをひとさらいすると、憐れみなのか苦笑なのか分からない表情で、
「バイトのミスのレベルがどうとか」「独特の世界観だね」とか「これわざわざメモ取る必要ある?」とかもうニュアンスでしか思い出せないが、とにかくそういうことを言ってきた。
僕のアルティマニアは僕というゲームをプレイしている人にしか価値はないのだ。ということを痛感した。
そんなものを誇らしげに他人に見せてしまったことが急に恥ずかしくなって大事に育ててきたアルティマニアを帰り道の隅田川に捨てた。
「誰かが拾ったらやばいな」とは思わなかった。他人には価値のない情報だ。川は確実に汚れた。地球すまねぇ。
アルティマニアを捨てた翌日。僕は新しいアルティマニアを作っていた。
毎日、何か気づきや学びを蓄えていかないと、落ち着かない性分になっていた。
取り留めもない独りよがりな雑記を書くことが好きだ。
隅田川にアルティマニアを捨てた次の日からは、自分一人だけのLINEグループをダイアリーの代わりにして今日まで欠かさず攻略情報を投げている。
その日の出来事やニュース、tips、気付いたこと考えたこと、取り留めもなく雑多に書き続けるだけだ。
面白いニュースも気づきも何もないときはどうするか?
さっきオカズにしたエロ動画に出てた女優の名前でも書けばよろしい。
紙のダイアリーと違って、LINEは長い文章も画像もなんだって貼れる。
とっても便利だ。
でもエディトリアルな作業はないからあまり面白くない。
また紙の攻略本が欲しくなった。
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