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大夫でも女優でもないただの風俗嬢。


風俗嬢と悪魔は似ている。小悪魔だとかそういう話じゃない。地獄行きの契約でもなく。"証明できない"という、そのただ一点において。


先日のこの呟きは(noteの呟き機能は滅多に使わないのだけれど)、別に悲しかったとか虚しかったとかそういう話ではなく、ただそういうものなんだなぁとふと思ったという話。


だが心はどうだったのだろう?

たんに仕事として徹するのではなく、その情愛すらも売り始めた時、心が壊れていくことはなかったのだろうか。

それとも、それすらも逞しく飲み込んでいったのだろうか?


以前、とある方が吉原について綴ってくれたこの問いへの答えは未だ分からないままだ。そもそもここへ身を置いたことの始まりが心が壊れたことだったのだから矛盾しているのかもしれないし、裏を返して必然なのかもしれない。"裏を返して"貰えたとしても貰えなかったとしても、貰ったものは計り知れないのだ。


嘘と虚構の楼閣、遊郭。儚いからこその夢。けれどその全てが欺瞞であったならここは楽園で、そうでないからこそ現を抜かすことが出来てしまう。はなから幻だったのなら、"抜く"ことすら出来ないのだから。



そんな言葉遊びのような場所の一角で、それでも私は真正直に接することしか取り柄がない。演技が上手かったのなら、きっともっと上手くやっている。現の物がもっと手元へ落ちるのだろう。通りで一両二分にも満たないはずである。


飲み込む程の逞しさも、嘘を吐き出す賢さもない儘。身や心が半壊することはあれど、それでも愚直さを手放してしまえば、それはもう"私"ではないと思うから。そこだけは譲れない私は太夫にはなれないが、譲ってしまえば女であれど大"丈夫"ですら居られない。




……さて。

梅雨の風物詩コインランドリーを無事終えたので、帰ります。



出勤前に飲むコーヒー。ごちそうさまです。