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1学期を振り返って


昨日で僕の1学期は終わりました。
大人になっても夏休みがあるというのが先生やっていて良かったと思うことの1つです。

梅雨明けも発表された晴れた日の帰り道は遠回りするのもいいだろうと思ってどこに寄ろうか考えながら荷物をまとめましたが、いざ外に出ると茹だるような暑さに負かされ即帰宅しました。

子どもの頃の夏はもっと過ごしやすかったように覚えていますが、アラサーの体力のせいなのか地球温暖化のせいなのか、今は外に長く出ていられないですね。

担任をやめて講師をやり始めた今年の1学期はどうだったと言いますと、
とにかく時間がありました。おかげでnoteを書き始めることもできましたし、働きながら心と体の調子を整えることができました。

本題はここから

気づいたこと
子どもたちの習熟度によって授業を変えるのは当然ですが、偏差値で15ほど違うと去年までの授業が全く通用しませんでした。

今年は中学2年生と3年生を教えています。彼らとは去年までまったく関わりがありませんでした。

そんな今年の子どもたちはどんな様子かと言いますと、授業中は喋ったり、寝たりと好き放題する子どもたちが3割ほど。ほぼ全員が去年まで勉強したとこを覚えていない。宿題はやらない、提出が遅れるのは当たり前で悪いことじゃないと思っている、という状態です。

彼らと僕は1年しか関わりません。この1年で彼らに何を伝えてあげられるのかを常に考えた3ヶ月間でした。

授業をやり始めて一番彼らのためになるのは、宿題とテスト勉強を彼らなりに取り組んでくれるように変わることだと感じました。

良かったこと

ありがたいことに僕の授業が一番楽しいと言っていただけました。個人的に嬉しかったことは、新年度の打ち合わせのときに注意するよう言われた子が英語ができなくて悔しいとできないながらも熱心に取り組んでくれていたことです。

自分なりにやってよかったと思っていることは、授業中の彼らの作業を増やすことです。常に作業を与え続け、話したり寝たりする暇を与えないことを意識して授業をしました。

先生という生き物は喋るのが好きなのでついつい喋り続けてしまう悪癖があると思っています。僕もいわゆる陰キャですが、授業として喋っていいよと言われればいくらでも喋ります。子どもたちにとってこれほど退屈な授業はないなとここ数年で感じ始めています。

簡単な作業を繰り返し、小さな成功をたくさんしてもらうことで少し前向きになってくれたような気がします。

良くなかったこと

テストを難しくしすぎました、、
言い訳をするとこのくらいはできてほしいという欲が出てしまいました。子どもたちの到達度をよく見れていなかったのが反省点ですね。

勉強が苦手な子どもたちのゴールが学習指導要領のものでいいのか正直しっくりきていません。偏差値、平均点、合否という尺度で見られてしまうことが多い勉強という分野において、どうしても生まれてしまう「よくないほう」と括られてしまう人たちは何を目指すのでしょうか。どうにもできる人たちの踏み台にされているように感じてしまいます。

「中学英語のゴール」はどこなのか、答えを見つけられる夏になるといいなと思うこの頃であります。疑問で終わるnoteがあってもいいじゃないでしょうか。

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