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クリスマス

今年もクリスマスが近づいてきた。
ということは、年末が近いということでもある。
だんだんと一年をまとめる時期にさしかかってきましたが、読者のみなさまはどんな一年でしたか。

早速話が横道に逸れているが、今回は日本のクリスマスを考えてみたい。
考えるといってもそんなに堅苦しくなく、私が時々思っていることをポツリと言ってみるだけだ。

もともとキリストの復活を祝う行事であるはずのクリスマスは、日本で独自の発展を遂げてきた。
街はクリスマスツリーとイルミネーションで彩られ、大都市を中心にクリスマスマーケットが開かれる。
クリスマスソングが街に流れ、人々はなんとなく浮き足立つ。

大前提として、私は日本のクリスマスがけっこう好きである。
恋人と一緒に過ごすという最近の流れはいまいちよくわからないが、街が華やかになるし子どもたちが嬉しそうなのはとても良い。
20代くらいまでは「彼女作らなきゃ」と思う時期もあったけれど、今思うと本当にクリスマスを楽しみたいというより、恋人がいるというステータスを作って同世代にマウントを取りたいだけだったのではないかと思う。
そう思うととても恥ずかしいし、友人たちとキリストに謝るべきだろう。
懺悔。私は不純な動機の塊でした、本当にすみません。

そういえば大学時代、ある講義で教授から「日本のクリスマスなんてものは企業が考えた商売の戦略なのだから、そんなものに踊らされないように」という趣旨のアドバイスを賜ったことがあった。
私は「そりゃそうなんだけど、別に良くない?」と思っている。
購買行為により経済が活性化するわけだし、世の酒飲みは年間行事で喜んで飲む。
「日本全国酒飲み音頭」を聴けばわかるように、不景気な日本では酒飲みが経済に大きな影響力を持っていることを忘れてはならない。

嗚呼、また話がそれた。

子どもの頃はクリスマスプレゼントや食事も楽しみだったが、他にも憧れることがあった。
ホワイトクリスマスである。
当時からなぜか東北や北海道への憧れが強かった私は、雪が降るクリスマスに異常なまでの憧れを持っていた。
山下達郎さんの「クリスマス・イブ」が大好きで、雨が夜の間に雪に変わらないかと待ち侘びたりもした。
だが、当時住んでいた神奈川県では12月に雪が降ることなどほとんどない。
なんとなく浮つく私の心は、その現実で醒めてしまっていた。

現在札幌に住む私は、ある意味少年時代の夢を叶えている。
クリスマスは毎年のように雪が降るが、人混みが苦手な上に寒すぎるため、わざわざ夜に出歩こうとは思わない。
私のクリスマスは家でそれっぽいものを作り、滅多に飲まないスパークリングワインを開けるくらいの質素な過ごし方に変わった。
これもまた、身の丈に合った楽しみ方が少しずつ身についてきたということなのかもしれない。

クリスマスが今年もやってくる。
その時幸せな人が多いことを願う。

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