見出し画像

完璧でいたい病(無理だけど)

昔から、私には完璧主義っぽいところがある。

仕事もそれなりに頑張るし(最近よく怒られるけど)、家事もちゃんとやるし、ギャンブルはしない(あ、酒は飲む)。
「自分はすごい」などと自惚れるつもりは毛頭ないのだが、なーんも考えずに生活していると、つい完璧を目指してしまうのだ。
必死になって自分の能力に見合わない無茶な努力もしてしまうから、過去7〜8年は心を病んでいた時期がある。

なぜそうなってしまうのか、私なりに考えてみた。
多分、ないものねだりとせっかちが関係していると思う。
私自身が生活の中でせっかちだという自覚はあまりないが、こと自分の仕事や成長に関わることとなると、超がつくせっかちになる。

「周りの同世代は安定した仕事について月に何十万も稼いでいるのに、自分は何をしているのだ!」
「今のキャリアならこれくらいはできていて当たり前なのに、なぜできないんだ!」
私が脳内でよく考える思考たちである。

お気づきの方も多いかもしれないが、これらの思考には客観的な根拠はまるで存在しない。
ただ自分で勝手にそう思い込んでいるだけである。
自分に足りないものに着目しすぎて、自分の能力や適性を度外視してしまうのだ。

思えば、就職活動の時などはまさにこの傾向が現れていた。

大学時代、私は地方銀行や信用金庫などの地域金融機関を志望していた。
金勘定が苦手で貯金もろくにできない私が、である。
なぜ地域金融機関を目指したかと言うと、地域社会のありがたみを感じていたからだ。
私が育ったのは神奈川県横浜市の北部エリアで、地域のコミュニティは非常に強かった。
マツコデラックスさんなら「こんなところが横浜なんて認めない」とお怒りになるエリアだろうが、その議論はさておき、私は地元が嫌いではなかった。
近所のおばちゃんたちは優しいし、何かと気にかけてくれる。
同級生とはソリが合わないことも多かったけれど、地域の中に住むこと自体は苦ではなかったのだ。
地域の世話になっていた私は、仕事をする中で恩返しがしたかった。
でも、それは公務員になっても実現できないだろうと思っていた。
なぜなら、公務員になると「行政」と「住民」という構図に飲み込まれてしまい、私が当時理想としていた「地域の人と同じ目線で、共に泣いたり笑ったりしたい」という希望を叶えられないと考えていたからである。

我ながら、今でもこの思い自体は悪くないと思う。
ただそれを理由に金融に行くというのは、いささか論理が飛躍しすぎている。
私は自己分析において重要な自分の資質や能力をほとんど把握しないまま、就職活動に励んでいたのだ。

私は金勘定が苦手だし、報連相も上手くできないし、電話応対なんて全くと言って良いほどできない。
これにも色々理由はあるのだが…そういった自分の資質を度外視して、他の人に合わせるようなスタイルをとってしまっている点は大いに反省しなければならない。
そんな自分に嫌気がさすことはしばしばあるし、自分自身に対して「あー、うざい!」「なんでこんなこともできねぇんだよ」「こんなやつ4んでしまえば良いのに」などと悪態をつくことも、よくある。
そして、どんどん自己嫌悪の波に飲まれていく。

そんな自分と一生付き合っていくためには、「自分には苦手なことが山ほどある」
「人よりもできないことが多い」という自分が現在置かれている状況を、一旦受け止めなくてはならないだろう。
そして、「頑張れば自分の課題がすべて解決する」「いつか完璧な人間になる」という無茶な思考および目標を、少し緩めていくべきである。

正しく生きようとしすぎず、自分の現状を少しだけ許してやる。
シンプルなことだが、私はそこがとても苦手だ。
現在32歳の私には、おそらくまだまだたくさんの出来事を経験する時間があるはずである。
さらに落ち込むことがあった時に、自分が対処しきれるだろうか。
今も不安になってばかりだが、こんな性格の私はおそらく一生悩んで生きていくのだろう。
悩んでも良いけど、こうしなくてはと思わない。
来年の目標が、早くも一つ決まってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?