虚構現実で偶像を追い求める人々
そもそも成功者とは、それは目に見える世界で栄華を極めた者のこと。
目に見える成功、それは自我にとっての成功体験、つまり自分と周りとの比較によって優位性を確立することに他ならない。
誰の目にも明らかな成功こそ、自分にとっても成功だよねという単なる思い込みに過ぎないのではないかということ。
真の成功体験とは、自分だけの特別な体験なのではないか。
この世界の99%の人々は、自我の声に囚われるあまり、目に見えるものにこそ心奪われる。そうした目に見えるものだけを信じる者たちを導くためには、あらかじめそれらを作り出す必要がある。
それらが国であり、宗教であり、地位や権力や栄誉や名声であり、土地やお金である。
あくまでもそれらを作り出すのは秩序のため。
でなければ混沌が満ち溢れることになるから。
あえてピラミッド型の社会構造を作り出し、お金という概念を作ったのだ。
これらが偶像崇拝の根源にあるもの。
偶像崇拝者たちは、自分が満たされない思いをとりわけ周りのせいにする。
例えば国の社会構造、自らの境遇、有名人や政治家、親兄弟、学校の学友、会社の同僚など。
あるいは自分の貧しさや見舞われた事件や事故や不健康に至る自分を含めたすべてにおいて。
自分を取り巻く目に見えるものすべてに憤る。目に見えるものこそがすべてであると信じきっているから。
目に見えぬ己の心は蔑ろにして。
・・・つまりそれってあなたの自我ですよね?
お金儲けとやりがいを求めることは別だから。
食費と家賃と光熱費と社会保険料などの必要最低限の生活費。
将来への備えや趣味などに必要な諸経費。
これだけあれば人間らしく生きられるでしょう。
今更これ以上の多くを望む必要があるのか。
いまこそ思考のバリアフリー化が必要。
そのためにこそ自己理解のための創意工夫を楽しめる。
陰極まれば陽に転ず
この世のやりたくないことは、自分がやりたいことのためにある。
たとえば勉強や仕事。
あるいは恋愛や家族関係。
やりたくないことをやらなくていいように、その都度自分の中から必要に応じた創意工夫の意欲がわいてくる。
それなのに大半の現代人はやりたくないことをこそ我慢して頑張った挙句、やりたいこともできない抑圧された人生だと嘆き悲しむ。
でもそれって当然ですよね?
自ら率先してやりたくないことをしているのですから。
そんな当然のことさえも自分で気づけないほどに、現代の人々は忙しい毎日を過ごしているのです。
であればまずやるべきことは、自分の気持ちに気づくこと、つまり心穏やかに過ごす状態を作り出し、そうした在り方を心がけることでしょう。
でも私はここで強い言葉を使いたい、ダークサイドに落ちる前に気付けるんですよ。
自分の自我は何も知らないだけ。
無知であればこそ、自我は頑張っちゃうの。
そんなこと誰も教えてくれない、であればこそ自分で気づけるんです。
本当なんですよ? だから最後まであきらめないでください。
最後に
かくいう私も長い間、自分の自我の正体がわからず苦しい思いを抱いておりました。
自分らしさやありのままに生きることを考えていると、ついつい思考している自分に気づいて笑っちゃうでしょ?みんな同じだよ。
だから考えず、心の赴くままにただ進め、自分!(笑
最後に一つ言い訳をしたい、文章を書く際にはどうしても思考というプロセスを経るため何も考えず書くことはむつかしいということ(苦笑
それじゃ、今日も素敵な一日を過ごしてください。
なすの
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いつも本当にありがとう。 これからも書くね。