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良かれと思ったお節介は余計なお世話?

周りから見て、たとえどんなに愚かな行為であったとしても、本人にとっていま必要だからそれをしているとすれば?
であるなら、周りの人たちのどんな愚かな言動も、自分には無関係。

自分の価値観をもとにお節介を焼くことは、余計なお世話なだけでなく、むしろ相手から貴重な体験の機会を奪う行為。これに気づけない限り、周りが気になり続ける。

自分が一時的に気持ちよくなるために、自分が良かれと思う行為を周りに押し付け続け、やがてようやく己の行為の愚かさに気づけるのです。自ずから気づくために、周りが気になっていたってこと。

自分で周りの出来事の本当の意味に気づけたとき、ようやくそこから自分の人生がスタート。それからは周りを気にせず、自分のことだけに集中でき、人生に無我夢中になれるから。

そんな自分の在り方に、周りが感化された結果、周りの人々も次々に自分の人生を歩み始める。自分の周りがなんだか不穏、自分の人生が停滞していると感じるときこそ、自分自身に目を向けるチャンス。

心落ち着け、自分の心にやさしく寄り添ってあげましょう。自分へのお節介は、どれだけ行っても余計なお世話とはならないから。

やればやるほど、自分も周りも幸せになれる。これからは、自分に優しく、自分らしく、自分のことだけをしましょう。

そっか、余計なお世話だったんだ・・・

この世界における、私たち人間の絶対的な真理。
・もうすでに生まれている
・いつか必ず死ぬ
・自分は自分
人種、貧富、優劣、どうであろうとも人間である以上、この3点について、平等からのスタート。

それでもなお、周りを羨んだり、嫉んだりしますか?
まだ周りが気になりますか?

もうわかってるはず、周りは救えない、周りから救われる必要もない。

そのような暇があるなら『自分に誠実な人生を贈りましょう』。
自分で自分に素晴らしい人生をプレゼントするのです。それができるのは自分自身だけなのですから。

うん、それはそう………でも、死ぬのに生きるの? どうして?

それはね、あなたが愛されるために生まれてきたからです。愛なんて聞くとくすぐったいですよね、でもいずれわかります。

だから先に言います。

「生まれてきてくれて、ありがとう」

それではもう行ってください。こんな文章を読んでいる暇などないはず。
すでに今日という素晴らしい一日が始まったのですから。

「いってらっしゃい、お幸せに!」

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