良かれと思ったお節介は余計なお世話?
周りから見て、たとえどんなに愚かな行為であったとしても、本人にとっていま必要だからそれをしているとすれば?
であるなら、周りの人たちのどんな愚かな言動も、自分には無関係。
自分の価値観をもとにお節介を焼くことは、余計なお世話なだけでなく、むしろ相手から貴重な体験の機会を奪う行為。これに気づけない限り、周りが気になり続ける。
自分が一時的に気持ちよくなるために、自分が良かれと思う行為を周りに押し付け続け、やがてようやく己の行為の愚かさに気づけるのです。自ずから気づくために、周りが気になっていたってこと。
自分で周りの出来事の本当の意味に気づけたとき、ようやくそこから自分の人生がスタート。それからは周りを気にせず、自分のことだけに集中でき、人生に無我夢中になれるから。
そんな自分の在り方に、周りが感化された結果、周りの人々も次々に自分の人生を歩み始める。自分の周りがなんだか不穏、自分の人生が停滞していると感じるときこそ、自分自身に目を向けるチャンス。
心落ち着け、自分の心にやさしく寄り添ってあげましょう。自分へのお節介は、どれだけ行っても余計なお世話とはならないから。
やればやるほど、自分も周りも幸せになれる。これからは、自分に優しく、自分らしく、自分のことだけをしましょう。
それでもなお、周りを羨んだり、嫉んだりしますか?
まだ周りが気になりますか?
もうわかってるはず、周りは救えない、周りから救われる必要もない。
そのような暇があるなら『自分に誠実な人生を贈りましょう』。
自分で自分に素晴らしい人生をプレゼントするのです。それができるのは自分自身だけなのですから。
うん、それはそう………でも、死ぬのに生きるの? どうして?
それはね、あなたが愛されるために生まれてきたからです。愛なんて聞くとくすぐったいですよね、でもいずれわかります。
だから先に言います。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
それではもう行ってください。こんな文章を読んでいる暇などないはず。
すでに今日という素晴らしい一日が始まったのですから。
「いってらっしゃい、お幸せに!」
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。