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決心し何事にも心を込める

ことがはじまる際の動機はどうでもよい。
のっけから欲望むき出しに邁進するのみ。

ときにはお金儲けも大切、次のやりたいことに向けての準備金だから。
お金儲けのための行動ではなく、やりたいことのために大切なこと。

そうするうちに、自分が好きなことで生きられていることへの感謝の念がわきあがってくる。

周りへの感謝、お陰さまへ報いたいと利他の精神が芽吹くから。

但し、利他の心は自分の心の赴くままに行動した者にのみやってくる心の動き、自分で体験し自ずから気づくしかないから。

そうはいっても、どうせ誰もが遅かれ早かれ最後は使命を思いだし、宿命を受け入れる。

であればこそ、明日というよりもむしろ、今この瞬間からはじめればいい。

・・・でもなにを?

それは当然の疑問。

何も思い付かない、意欲が湧かない、それは何もしなくていいということ。

それかもうすでに、自分では当たり前すぎてそうと気づけない、日課や習慣がそうであろうと疑ってみるべきだ。

学生は学校に通うこと。
お母さんなら育児。
毎日の仕事。

このように自分では当たり前と思っていることの中で、すでに必要な行動を習慣化しているのだ。そしてそれらのすべてには必ず終わりがある。

継続は力、それにも限度がある、その先は執着。

大切なのは、無理に何かをしようとしたり誰かになろうとしないこと。

であれば、当然やりたくないことはやらなくていい。

仮になにもしたくないなら、それは休息の合図、素直に休みましょう。

それでもなお、生きる意欲が湧かない?

いいえ、そんなことはありえません、何故なら心臓が脈打ち、息をしている時点で、意味ある人生を既に生きているのですから。

であれば今こそ、人生の真の醍醐味とは、ただ自分が存在していることだと気づくときではないでしょうか。

自分が存在していて、誰からも愛されていないだとか、どんな思いをもって行動しようとも、いかなる動機によるものでも、正しかろうがそうでなかろうが、必ずそれらは受容される。

それこそがこの世界の究極の許し。

自分が存在していることの証明であり、それらを愛と呼ぶのだ。

人間の状態でもしこのことに気づけたのであれば、それは幸いなこと。

あとはもう心の許すままにただ羽ばたいてゆけばいい。

何をしようとも自由。

真心と共に丁寧に生きる。

すべては自分で決める、自分次第。

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