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自分という金看板を下げず、価値を思い出す
お金や名声のため、あるいは、生きるため、数字や実績を気にし、何かをするのは必ずしも卑しい行為ではない。何故なら、それが自分の生きがいであり、また誰かの元気に繋がっているのなら、それは習気だからだ。
人間として生きる上で、煩悩の一部としてその心の動きが出るのは当然のこと。人として生きる以上、欲得を完全に排斥することはかなわぬ定め。
他者との比較、妬み嫉みではなく、誠の思いから自分の心が動いたのであれば、委縮することなく自信をもって取り組むことだ。結果はどうあれ、挑戦した自分を褒めてあげましょう。
仮に大きな失敗を経験することとなったとしても、決して自分を責めたり後悔する必要はありません。
はじめは学校に通う意味がわからず、やがて体験することの大切さに気付けるように、だから個人の嗜好にかかわらず実際にやってみることが大事。
それなのにいざ経験すると、失敗したとか、かっこよくなかったとか、いろいろ愚痴ばかり言う素直になれない人たち。
容姿に自信がないからヴァーチャルアーティストとしてなら。でも結局・・・続かなくて。
「やっぱダメだった」
気持ちを切り替えて次に行けばいいのに、あれやこれやと自分にダメ出し。
そりゃ「これに決めた!」と言って、なりふり構わず勢いよく走り続ける彼らと同じにはなれないよ。だって、はじめから違ってていいし、同じになる必要もない。
人はその人が好きなことで輝いているからこそ、共鳴して応援してくれる。素直になれとまではいわないけれど、わざわざ噓をつく必要はない。自分にだってさ。
自分の金看板は下げてはいけない。
自分が諦めてしまったら、あの子から完全に見えなくなってしまう。
やがて届くはずの自分の声があの子に届かなくなるから。
周りに合わせて自分は下げなくていい。
自分を必要以上に盛らなくてもいい。
正しいと思うことをするんじゃなく、惹かれることをする。
周りの何かを信じるんじゃなく、自分を信じる。
誰かに優しくするんじゃない、自分に優しくなれれば周りに優しくなれる。
キライはスキへと自分を運んでくれる、だから素直に従う。自分の思うようにしていいか自信が持てないのは、失敗を恐れるから。
失敗して貴重な時間や経費が浪費されるのが嫌なんだ。でもわかってない、自分がいまそのことに興味がわいているからこそ、行動を起こそうとしているその意味を。
人間は、自分が興味ないことは認知できないようになっている。今の自分に必要なこと以外、そもそも視認できない。
自分が本当に惹かれていること、居ても立っても居られないことは、今の自分のみならず、他の誰かが必要としていること。であれば、わざわざ情報を探し回る必要もないとわかる。
身近な出来事や情報から糸を手繰り寄せるように、自然と巡り合えるもの。
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この世の最大の秘密、それは失敗なんて存在しないってこと。その時は失敗したと思えることも、実はその先の人生に起こる成功の兆し。だからもう、自分を否定したり、嫌いになったりしないで。
自信を持てとは言わないけれど、自分を信じようとしてあげて。自分の存在に自信が持てないのは、自分に意味を見いだせないから。だから無意味な人生だと虚しくなる。
生まれた意味がないのではなく、生まれ生きるだけで十分だから、そう思うほどに虚しい。一方、自分がどうしたいのかわからない状態。
それは、休めの合図。
日々を淡々と普通に過ごせばいい。
可能であれば、なるべく心地よく過ごすといい。
自分が思い思いの日々を過ごすうち、必ず何かをしたくなるから。その時に、ようやく惹かれることをすればいいのです。
人によっては、冬はダメで春は調子がいいとか人それぞれ、タイミングも期間もバラバラ、周りに左右されなくても大丈夫。
焦ると余計に自分の心が落ち着かず、無理やり行動してまた騙されるの繰り返しです。仮に今旬の情報に無理やり自分の意識をフォーカスし、何か行動を起こしてみればいい。
おそらくかなりの確率で、マネタイズ業者に胡散臭いビジネスモデルを押し付けられるだけだろう。何かのイベントや講演会やセミナーに参加した際、なんだかしっくりこないって思うこともあるでしょう。
でもその心の動揺がなぜ起こるのか、気になって参加したはいいけれど戸惑いが生じる。つまりは、違いを確認するために気になることもあるってこと。だから、なんだか時間や費用などの労力を損した気にならなくていい。
ある意味で、自分への先行投資、たしかに直接的な学びにはならないけれども、次回以降はそれを選択しなくていいという判断に役立つ材料なだけ。
自分の価値を思い出すことにも繋がります。たとえ自分が若いころのように肉体労働で生きなくなったとしても、何かはできる。たとえ病気になっても安心できる。
自分がこの世に誕生した時点で、もうそれは無価値ではなく、無限の価値のあることなのだ。
いつも本当にありがとう。 これからも書くね。