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”思いつき”定義集Ⅱ㊳「ろ・わ・を・ん」

【ろくでなし】例えばホモ・サピエンス(賢いヒト)。そもそも自分で名づけたのが間違い。確かに人間には知恵がある。しかし、そこにはあざとさ――詐欺など嘘が物言う犯罪もあれば、殺人にも工夫を凝らす知能の高さも含まれる。ろくでなし(不埒/邪)以外の何ものでもない。
 自分が一番と考える、類まれなる誤認の天才――それがホモ・サピエンスの特性。より正確に表現すれば、ヒトは賢いという自己欺瞞に気づけないという欠陥を兼ね備えた賢人。人前では威張り散らすがゴキブリにビビる人間の器を想像してみると分かりやすい。その点でヒトそれ自体は進化などしない。知識と技術の進歩があるだけ。そこに先人を敬う機縁がある。
◆注:ホモ・サピエンスの一員であるわたしもまた例外なわけがない。過去のバカな行為の繰り返しは些細(なはず)だが、状況次第で特攻に志願するかもしれないしウクライナの義勇兵として死を賭するやも。権力を持てば安全地帯から殺人を命令するかもしれない。とことん臆病な凡人であることを恥じることはない。むしろ喜ぶべきことに違いない。

【わたし】「無為な実存」とでも言いたいところだが世俗にまみれた泥臭い「普通の人」――これがわたし。
 実存を説くにも他者が前提。そもそも「わたし」はなぜ存在しているのか。産んだ人がいるから。この単純な事実こそは他者認識の始発、そうして「わたし」の出来上がり。
◆注:たまたま聞いたラジオでの話――あるDVのクソおやじが死んだ時、クソおやじを罵倒した息子に、さんざん苦労を重ねてきた母が切り返したという言葉――「あんたがおるのは父親がおったからや」――然り。

【をかし】しばしば古典文学(『枕草子』『徒然草』など)に見られる「趣き」(「面白い」という意味もある)。言葉も大切だが感性も大切ということか。語彙は無限の広がりを持つが、感性を正確に把捉することはできない。事実、言葉による心情表現は大いに不完全。なので「をかし」を接ぎ木としてお互いの理解は「100パーセント未満」、それを了解するためのコミュニケーション言語としては優れている。
 もとより“愚鈍な人”には通じない。ただ、“愚鈍な人”に誰を当て嵌めるのか――自信をもって確定できる人こそは“愚鈍な人”である。
◆注:ジャンルを問わず芸術は、言葉の不完全性を補うものとして永遠
である。もちろん芸術もまた不完全ではあるが。かくして人間の完全を求めるのは不毛の極致。ベターであることに努めたい。

【ん】ん~ん。何もない。
◆注:クワメ・ンクルマとチママンダ・ンゴズィ・アディーチャ以外には“思いつかない”。

■ということで『“思いつき”定義集』の2周目が終わります。50音順での3周目はキツイかな。ひとまず、これで「定義集」を閉幕とします。ご覧になった方、画像を提供していただいた方(勝手に選んだのですが)には深謝申し上げます。
                         鈴木もも吉

追記:「雑多な雑感――NPOの戯言」は続きます。よろしくお願いします。


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