渇き
自分な中に生まれた「渇き」という感情の整理を行うために下記の言葉たちを綴る。
良いものを生み出そうと高揚した時に目の前の相手との温度差を感じた時。
「才能」や「センス」という目に見えない壁を提示され距離感を目の前の友人に感じた時。
社会(見知らぬ大衆)や世間(見知った人々)から自分という存在が必要されていないことを感じた時。
僕は「渇き」を感じる。
自分の中にも。身を置く環境にも。
大学院を修了し、希望の就職は叶わなかったものの、大学院時代からの自分のプロジェクトがたまたま仕事となり、フリーランスとしてなんとか生きている今日この頃。
渇きは、顕著なものへとなってきた。
とにかく、満たされないのだ。
目の前の仕事をちゃんとこなしても。
上司に褒められても。
自分の中にも、自分との周りにも埋まらないギャップを感じるから。
全然、満たされないのだ。
まだ、風呂上がりのハーゲンダッツの方が心は満たされる。でも、欲しているのは、この満たしではない。
数年前。
高畑充希が主演を演じる「同期のサクラ」というドラマがあった。高畑充希演じる「北野サクラ」という人物が口にする言葉の数々がとても心に響くものばかりで、僕はこのドラマが大好きだ。
このドラマの中で一番好きな言葉
「諸君!明日はもっと良いものをつくろう!」
この言葉はスペインのサグラダ・ファミリアの設計者であるアントニオ・ガウディの言葉だ。
ガウディは、サグラダ・ファミリアのつくっている時、毎日、この言葉をスタッフに伝えたらしい。
僕が求めているのは、
この精神で
この環境だ。
良いものをつくりたい。良いものは人それぞれの価値観で変わるだろう。でも、そこに向かう姿勢には共通点はあるはずだ。
誰かのことを想う心だったり。
立ちはだかる壁に頭を悩ませながらも諦めず超えること自体を楽しもうとする意欲だったり。
全体像の見えない社会やこれからの未来に対して何か一石を投じてやろうとする精神だったり。
誰かに褒めてもらうためにするわけでもなく
誰かに認めてもらうためにするわけでもない。
もちろん、褒めてもらいたいし、認めてももらいたい。
でもそれ自体が、
目的にはならない。
とりあえず、つくる。
とりあえず、生み出す。
じゃなくて、
良いものをつくる。
価値あるものをつくる。
目の前の人の心を豊かにできるものをつくる。
そこにこだわりたい。
そこに真摯でありたい。
そこに誠実でありたい。
でも、他人と生きるこの社会というのは難しい。
それだけでは、生きていけない
今の自分が、今の環境がもどかしい。
そんな時に僕が感じるのが
「渇き」
という感情だ。
あぁ、満たされない。
fin.
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