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YouTubeで格闘技観てた今週

自分はパソコンをずっと使ってなくて、YouTube観るのもnote書くのも全部小さなスマホの画面見ながらなので、
目が疲れる。

今週はYouTubeで、日本人が絡んだボクシング名チャンプの試合、つまり昭和の軽量級の試合などを観ていた。

これまでWikipedia含め、検索自体殆どしてこなかったのだけど、

wikiるのは大事だなと思った。それは「大仁田厚」への偏見が取り去られたから。(Wikipedia自体がその内容の濃さや真贋にばらつきがあったので、それであまり観てなかったのです)

プロレス界の「邪道」大仁田厚選手が、若手の頃は全日本プロレスで、かなり期待されていて、
海外でNWAのjrのベルトを奪取して日本に持ち帰り、ドス・カラス含め、何度も防衛していた事を知り、
YouTubeで昔の大仁田の試合を観てたのだけど、

自分がテレビで観ていたのは、例の「またぐなよ!」by長州力

はじめ、インディーで若者達から圧倒的支持をされていたのは知っていたけど、それが電流爆破マッチで、

新日本プロレスの中継でも、真壁アナと大仁田劇場という、微妙過ぎる茶番劇(失礼)を繰り広げ、

いざ、大メジャーの新日リングに上がっても、プロレスらしい事を出来ずにいた…

だから、この人はプロレス(レスリング)は出来ないのだな、と思っていたので、

今回初めて昔の全日本プロレスでのビデオを観たら、ロープの間からリング外に飛んで行くし、
空中戦も普通にやってたし、関節技もやるし、かなり驚いた。

wikiで知ったこと含め、大仁田厚という人は何度もどん底に落ちても這い上がり、
全日本プロレスでの、馬場さんの愛弟子として、将来全日本プロレスのエースとして期待されていたという、昔の栄光については一切語らなかったから、
文字通り「邪道」レスラーだと思っていただけに、自分の偏見を大いに恥じた。
この人は傑物だなと。wiki見る前にテレビ番組で、まだ10代だった頃に日本全国を徒歩で廻るという計画を立て、その時にマスコミを呼んで新聞記事にしてもらったりと、

耳目を集めるのは個人差があるけど、誰もが発信出来る現代のネット発信よりも、昭和という大人の時代に、10代でマスコミを呼ぶという発想、そして実際に行ったという事は、かなりハードル高いと思うので…

それを実現させたというのは、早い時期に大人社会での成功体験を経験したという事であり(日本一周計画は、途中で実家が火事に遭われたという事から中止されたそうだけど)

発想やズバ抜けた行動力、バイタリティー、巻き込む力諸々、

順風満帆な敷かれたレールを来た人ではないだけに、電流爆破マッチを始めたのも、膝の粉砕骨折で普通にはレスリングを出来なかったからだと推測出来るし、それでもなおプロレスをやろうとして、一大ムーブメントを起こして、40過ぎてから大学に通って卒業した事や国会議員としての活動は広く知られているけど、全日本でのレスラー歴の初期からの、そこからインディーで再起してからの一連の事を改めて思い起こすと、本当に凄いと思いました。

そんなバイタリティーで何度も再起した人物の事を思ったら(実際は、一癖も二癖もあるのかは知らないけど、あくまで、とある一人の人物の事を、過去を知らず、自分の主観だけで偏見に塗れて認識していた、という事を「Wikipedia」で知らされたという、他の人は知っていたのかもしれなくて、何を今更かもだけど、それだけ人には歴史があるという事を想像出来てなかった点で、ギャップによって驚いたのです)

自分なんか甘ちゃんもいいとこだし、全然まだまだやれる、というか、何もやれてない(本人としては勿論、精魂注ぎ込んできたつもりだけど、結果として広まらなかった。流れに任せ過ぎていて、「考えて」違う一手をとる、または思い切ったアクションにシフトする、という事を怠っていた反省が己にあります)

物事を成すには、人間としてのパワーあってこそだなと大反省したし、得る事も多かった。

ドキュメント映画を観て知ったのだけど…モハメド・アリだって、改名するまでは支配層の白人達の言う通りにしていたら敷かれたレールの上を安泰だったのだけど、
その「主人」達に牙を剥き、
アメリカの歴史上大きな、黒人解放ムーブメントに身を投じたので、

役者としても、順風満帆な人が羨ましいと、長らく指を咥えて羨ましがっていたけど、誰だって言わないだけで各々苦労はしているのだし。

男ならば這い上がって挑戦する気力を養って勝負してかなくてはならない(男だけに限らずですが)

と思った。

YouTubeで観たボクサーで色々思う事あったのは、ストロー級、現在ではミニマム級で20度防衛の世界二位の記録を持ちながら、
対戦相手がいなくて階級を上げたリカルド・ロペス。
他にもいたけど、思い出せない…

日本での防衛記録は具志堅さんの13回だけど、

長谷川穂積や内山高志とか、絶対具志堅さんの記録を抜くと思ってたら成し得ず。

今のボクシングの潮流は、防衛回数よりも、
複数階級の制覇。
というより、それは結果論であって、
強い対戦相手と盛り上がる試合をする事が重要なので、
結果、上の階級に行ってその猛者のタイトルに挑戦するという、
その代表が、今だ現役世界チャンプのマニー・パッキャオ。

複数階級ベルトを同時に保持して、一番重いウェルター級で防衛記録を作ったヘンリー・アームストロングとどちらが凄いか?
意見は分かれるだろうけど、
パッキャオはそのファイティングスタイルが観る者の気持ちをアゲてくれる。

ボクシングは高校時代は、自分は文藝春秋社のスポーツ誌「Number」を読んで、その時々の強いチャンピオンの「名前」は知っていたので(動く姿を観れたのは、当時日本人が絡まない世界タイトルマッチを放送していたのはテレビ東京だけでした。タイソンは最初はテレ東で、日本での試合は日本テレビ)

後にYouTubeで、例えば雑誌で知っていたパーネル・ウィテカーとデラホーヤが対戦したり、

対戦という形で次代の名チャンプとなるボクサーにバトンを渡していくのが、歴史の面白さと相通じていてワクワクする。で、メイウェザーはデラホーヤともパッキャオとも対戦して、結果として無敗のまま引退したけど、

ファイトスタイルとしては…採点の基準が選手の健康管理も重視されているので往年からは変化してきているけど、

やはり攻撃してこそのボクシングだという事は、守らねばならないと思います。一ファンの意見に過ぎないけど、

高校時代は灰色の印象の自分だけど、剣道はめちゃくちゃだったけど、兎に角相手をボコボコに打ちまくって、剣道部の教師は元警察、しかもSPで、全国の警官の剣道大会で何度も優勝した(小柄だったけど)人で、大いに褒められたり、

柔道の立ち技では、足技が分からなかったので、力付くで投げ飛ばしていたら、室田日出男似の教師に、危ないと注意され(実践ではそういうのは役立ったけど、試合では駄目)

柔道の足技が自分には謎だったので、きちんと教えてもらえば良かったのに、当時は帰宅部だったので、スポーツをやる機会は体育の授業と昼休みだけだったので、勝ちたい気持ちが他の同級生より強かったのかもしれないです。今思うと帰宅部という、馬鹿みたいな選択をした事を後悔してます。今も賢くはないですが…何かやれば、やったなりに得るもの、収穫があるので。人生一度きりだぞ、自分!!

格闘技の攻め(の気持ち、闘争心)は分かるのだけど、人生というRPGさながらに、攻めるだけではなく、知恵などを使って上手く前進する為の攻め方は、歳を重ねてもイマイチ不得手なままに来てしまった…

試合はそんなに観てないけど、ロイ・ジョーンズjrの生き方、経歴も調べてみたら、普通じゃなかった。

ロイの経歴を知ると、まさに自分の信条…限界なんて無いと、本心では実は強く信じてているので、自分なんかまだまだ能力を発揮してないので、これからだ、という気持ちである。

大仁田さんが10代の頃にマスコミを使った様に、

何の宣伝も告知とかもしないで、いくらギター弾いてても、人知れず山奥でやってるのと大差ない。

アピール力を軽視し過ぎてきた事も反省点だ。

ボクサーは引退したら、大概テレビ解説者になるけど、日本のレスラーは、その後も一味も二味も違う、まさに独自のアンテナで道を切り開いていくのが興味深くて学べるという面もある。

自分は役者でも何でも、これまでみたいにただコツコツやっていくだけではなく、アンテナを立てて、独自の動きをしていこうと思います。

新日本プロレスの歴史に於いての一大事件、長州力率いる維新軍と新日正規軍による抗争も、ちょうどYouTubeにあげられていたので、それを「観て」初めて知る事が多かったのも収穫だった(観たのは先週の事だったと思っていたのだけど、今週でした)

全日本プロレスをテレビで観始めた時から、ラッシャー木村がいて、マイクで面白い事を馬場さんに向かって話しかけていたのが印象に残ってたから、元々全日本かと思っていたら、新日本プロレスで「はぐれ軍団」のリーダーとして存在感を放っていたり…

それもこれも、ボクシングの感想の所に書いた様に、話だけは知っていた「歴史」をこの目で確認する作業となり、色々発見があって興味深かった。

自分も役者として、また、音楽でも、兎に角どうせやるのならば、歴史に名を刻まねばならない。

自分が10年前くらいによく自主映画に参加していたのは、惜しくも亡くなられた大林宣彦監督が自主映画からスタートして、一貫して作りたい作品を作ってこられたから、というのも大きな要素だったので、それは宮崎駿監督もそうだし、昭和では黒澤明監督も、プログラムピクチャーの時代に、徹底して作家性を貫いてこられたという歴史があり、

自分は今後どういう道を行くかは、コロナ収束してみないと分からないけど…

それだけ自分の役者人生の最初の方では大林監督の存在は独立独歩精神の代表格としてあったので、ご冥福をお祈りすると共に、気概持って新たに歩まねばと思います。

もう、これからは何が起きても後悔しないように、テレビでたけしさんも仰っていたように、やりたい事をやっていこう。

それが歴史に絡んだり、歴史になるのならばいいなあと。

プロレスにしろ格闘技にしろ、大槻ケンヂ氏が雑誌に書いていた様に、歴史としての興味深さがあるし、今は団体が乱立しているけど、廃れる事は決して無いと思うので、もっと地上波テレビで過去のエポックとなる試合や概要(それこそ歴史)などを特集したりして欲しいと思います。

コロナ禍は、いつ、何を以って収束とするのかが不明だけど、
これからやりたい事は山程あるので、焦らずに諸々勉強して力を蓄える、そういう機会として有効な時間を過ごしたく思います。


北野武(ビートたけし)さんの発言は大きい。

自分は前やっていたブログでは政治発言はしてなかったのだけど、第一次安倍内閣発足時にだけは安倍総理はボンボンなので、庶民の気持ちなぞ分からないから無理、福祉政策は特に無理、期待出来ないと書いたのだけど、まさにその通りだった。

日本に住む人々の声を解って任せられる代議士を国会に送り込む為には、やはり投票行動は大切。

少し前までは左右のイデオロギーによる分裂だったけど、それに加えて富裕層と一般国民(海外の人も、日本在住の人は一緒)とに分かれてるのかもしれない。

選挙制度に欠陥があるというのと、諸々利権絡みというのがあるけど、国会議員というのは国民の血税で食わせて貰ってるというのを完全に忘れてるという、人として駄目過ぎるのだけど、

不正を働いた大統領を国民が引き摺り下ろした韓国や、

独裁政権と国民軍が長い内戦を経て、不正を断固として許さない強面ながら、国民を護る強固なる意志を示しているフィリピンのドゥテルテ大統領という理想の…というか、本来あるべき当たり前の民主主義国家のトップの姿を知るに、日本の衰退ぶりは、我々一人一人の無関心が招いたという反省をしなければならない。

コロナ以外に国やその他諸々と闘わねばならない日本はおかしいのだけど…

「うちで踊ろう」みたいに、楽しい事も沢山あるのは事実なので、心明るく乗り切りましょう。

コロナ感染からの予防は、実は普段の日常から大切な事なので、疎かにしていた、実は大切な事、毎日の習慣を改めて見直す機会でもあります。

これはBSで放送されている若大将の「歌っていいだろう」から。

野口五郎さんが話されている「エレキの若大将」は、テリーこと寺内タケシさんが演技もするし、

加山さんの部屋でギターセッションするし、

エレキギター大会では、司会が内田裕也さん、決勝で対戦するのは、芸能界喧嘩番付で必ず名前が出るジェリー伊藤のバンドと、

話題に事欠かない作品です!!

と、書いていて思い出したけど、「演技とギター」という点では海外ではジョニー・デップがいるけど、やはり加山雄三という存在は現役バリバリの大先輩なので、遅れ過ぎたけど、追いつきたい!!

格闘技は空手女子が映画界で人気になったりしてるので、スキルとしても武器になるけど、自分は年齢いった今から始めるならば何がいいかな…

先週痛めた右手は、ようやく指が曲がる様になってきました。

こういう状況で改めて、好きな事や人の存在に救われているし、希望が膨らんでおります。 

ドーパミン型の幸せと、セロトニン型の幸せ。

この樺沢先生のチャンネルは、最近のコロナ不安での免疫の高め方とかもそうだし、恋愛や結婚に関する考え方も、自分は未婚なので、非常に参考になりました。

今がこういう状況なので自由に出来ないけど、例えばコミュニケーションならば、趣味サークルがWEB上にあるみたいだし、コミュニケーション能力を培えると思います。

最近は、割と新し目の総合格闘家のチャンネルが増えてるけど、自分はあくまでファンとして観てるのだけど…時代的にも格闘技界へのハードルが高かったから…

映画スターにして現在の総合格闘技の始祖といえるブルース・リー先生(自分がブルース・リーを先生と呼ぶのを聞いたのは、船木誠勝さん。これ以上のお墨付きは無いでしょう)

は、自分が一番最初にハマった俳優、スティーヴ・マックィーンも直弟子だったのだけど、

ブルース・リーと、彼が創始したジークンドーが現代の若手格闘家を通じて再評価されて、脚光浴びつつある気がします。

映画のアクションと実践とは違うだろうけど、唯一一致していたレジェンドこそ、ブルース・リーという存在だという事は確かな事です。て、素人が生意気に言える事ではありませんが。

ラッシャー木村が新日リングに上がっているのを観て驚いたのと共に、力士みたいな体してると思ったのだけど、レスラーになる前、「断りきれなくて」相撲部屋(しかも宮城野部屋という事は、白鵬と同門!!)に入って力士をしていた事は知らなかったのと、やはり!という発見があった。

発見があると、今更な事でも言いたくなるので追記しました。

速い!!














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