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年相応とは

突然だけど「名探偵コナン」に出てくる阿笠博士って52歳なの!?

俺、あと一年であんな風になっちゃうの?
そういえば「サザエさん」の波平さんは54歳、フネさんは52歳。
「天才バカボン」のパパは41歳。
…ちょいとフケすぎじゃね?

でも、
「古畑任三郎」(1994年)50歳。
ドラマ「太陽にほえろ」(1974年)のボス40歳。
ゴリ34歳、長さん45歳、山さん42歳。
「西部警察」(1979年)の団長37歳…

こっちはシブすぎるだろっ!

俺はと言えば「仮面ライダー」だの「キングオージャー」だの言って引き篭もってネコと遊んでる51歳…何コレ?
「若く見える」なんて誉め言葉じゃない気がする。
ま、誰にも迷惑かけてないし問題ないか。

たまにLIVEはやってるよ

考えてみると俺も含め、今の大人はガキなんだろうな。あらゆるものが便利になって時間にも余裕がある上に、お手軽に刺激を得られる娯楽も増えて“時間の無駄遣い“を当たり前にしてるしね。
俺が子供の頃の大人は、娯楽も少なかったし深夜営業してる店もなかったし、子供たちの前では大人が大人でなければダメだったんだろうな。もちろん、悪い大人もダメな大人も沢山いたけど社会全体で「“年相応”のあるべき大人の姿」みたいなものがあったんだと思う。俺のお爺ちゃんや親父も、学校の先生も「あるべき大人の姿」しか俺には見せなかったしね。
シベリア抑留から帰ってきたお爺ちゃんは帰国後、石切り場で働いて、事故で大ケガをしてから商売を始めた。親父はトヨタの社員から電気工事士へ転職した。どっちも家庭と男のプライドを大事にしながら一生懸命働く姿を俺に見せてくれた。お婆ちゃんも、お袋もそんな男共を支えていた。

当時の「大人のあるべき姿」で「年相応」で、俺もそうなるものだと思っていた。けど、思春期になると窮屈にも感じるようになったよ。きっと同年代の連中も似たような感情があったんじゃないかな?
そんな「20歳になったら強制的に“大人”」というシステムの中で、「大人」という言葉に反発する「不良という子供」が生まれるのも必然なんだよな。

だからこそ逆説的に「無責任男」や「ドリフ」や「ひょうきん族」が流行ったり「漫才ブーム」が起きたりしたんだろうね。
「大人」という言葉に反発するのではなく、フラストレーションを発散する形としての「笑い」のムーブメント。
それが地震・雷・火事・親父の時代の子供たちに「だらしない大人の姿」がウケ、大人たちに「気を抜く姿を見せてもいいんだという安堵」を与えたんだと思う。
それが行き過ぎて大量の「子供の様な大人」を生んだんだろう。
俺もその一人だ。

気付けば、TVを見れば政治家たちが足を引っ張り合って、罵り合う姿ばかり。
毎日のように高学歴のコメンテーターが無責任な発言を繰り返し、誰かに謝罪を要求し、毎日のように誰かが心にもない謝罪をしている。
自分がマイノリティのときは権利を主張し、自分がマジョリティのときはマイノリティを排除する自称“非営利団体”。
高学歴を売りにするタレントと視聴者に「頭の悪さ」を笑われるタレント。
他人に迷惑をかけることで収入を得るYoutuber。
農業や工業を馬鹿にするホワイトカラー。
パワハラ、モラハラ、セクハラ…高学歴の偉いさんや、政治家や医者、警察官の失態も聞かない日はない。

他人を見下して得る優越感とか、自分の意見を受け入れない他者の否定とか、保身のための差別とか、気に入らない事があれば「傷ついた!」…こんなことばっかりやってる癖に「多様性」とか「戦争反対」って言ってる大人って何なんだろう?俺にはガキに見えるし、大人たちが大人の価値を下げているように見える。

しかし、それが世にウケているならばそれが正解なのだろう。
事実、そんな連中が毎日TVに出て誰よりも稼いでいるんだから。

あ、学歴もないオワコンミュージシャンの俺ごときが口を出す事ではないね。別に関わりたくないし。こらまた失礼いたしました。

いろいろ考えたうえで改めて思う。
「俺はカッコいい大人になれているんだろうか?」
いや、なれてないんだろうな。
いつの間にか「カッコいい大人」と呼ばれるようになっている高田純次氏が「歳を取ったらやっちゃいけない事は自慢話と昔話と説教」と言ってたけど、俺は全部やってるからなぁ。
一応、俺が思うカッコ悪い大人にはなっていない筈なんだけど。

ま、誰にも迷惑をかけない程度に好きに生きるさ。
生き方を決めるのはいつだって自分自身だ。

みなさんのお気持ちは毛玉と俺の健全な育成のために使われます。