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最悪の平和

忘れもしない2023年3月18日、友人が「これ知ってる?」と見せてくれたのがChatGPTだった。なぜ日付まで覚えているかというと僕の51歳の誕生日だったからだ。

誕生日を祝ってくれた友人に「これ、聞けば何でもAIが考えて答えてくれるんだよ」と何故か自慢気に言われた。そして「何か聞いてみてよ」と言う。

ちなみに僕は50歳過ぎの、とっくに盛りを過ぎたミュージシャンの上、意地悪なので「僕は51歳で、この先売れる見込みのないミュージシャンです。僕を目一杯褒めてください」とChatGPTにお願いをしてみた。

すると、実の親でもここまで肯定的には言ってくれないであろう褒め言葉が次々に表示されていく。しかも物凄い長文だ。

しかし、よく読んでみると同じような褒め言葉を並び替えたり、言い方を少し変えただけでもあったが、それでも目一杯褒め続けてくれた。普段、ここまで自身を肯定されることがないので気恥ずかしくなる程だったが同時に寒気も覚えた。

もう2か月以上も前の話なので、あれからもChatGPTはどんどん学習していて当時よりもずっと賢くなっているだろうから今、同じ質問をすればもっと多彩な語彙力で徹底的に褒めてくれるだろうし、ChatGPT以外の生成AIもどんどん開発されているのでもっと褒めてくれるAIもあるのだろう。想像するだけで寒気がする。

そうなのだ。人工であるとは言え、知能なのだから教えれば覚えていくし、それを元に勝手に学習して考えていってしまう。疲れる事も面倒くさがることもなく、ひたすら学習していってしまう。
今はある程度の条件を提示する事が必要だが、もう少し時が経てばその条件すらAIが考えてくれるだろう事は想像に難くない。
例えば、推理小説を生成AIに書かせる場合、登場人物やその関係性、トリックや文字数などのプロットが当然必要になるが、そのプロットすら生成AIに考えさせ、「若者に絶対にウケる推理小説」というだけで生成してくれるようになるだろう。
すでにスマホアプリをAIに作らせたという事例もあるし、企画案や謝罪文、高校の試験の問題までAIに考えさせている人もいる。
今はまだ「AIを補助的に使っている」と言うが、果たしてその考えがいつまで続くだろうか?
人によって使い方に差が出てくるのは当然だが、自分を活かすために上手に使える人は良いとしても「ラクをするため」に使う人の方が圧倒的多数になるのは間違いなく、全てをAIに考えさせる様になるのは時間の問題だと言うのは言い過ぎだろうか?

AIの進化のスピードを考えると、一部の人、いや半数以上の人間の思考そのものが低下、衰退し、人間が思考を放棄するというネガティブな未来を想像してしまう。

仕事をしていても最近は「事前に準備をする」や「計画性を持って行動する」という、ビジネスにおいてこれまで当たり前だった事をしない人が急速に増えているように感じる。全部が「大体、なんとなく」で始まって、躓くとやっと調べて、明確な答えが出ないまま終わってしまい、後でLINEでざっくりとしたまとめが来たり、人為的なミスで計画が途中で変わってしまっても「フレキシブル」という言葉でうやむやにした結果、思った成果が出ないこともままある。
これはスマホを始め、世の中が便利過ぎるからに他ならないが、AIが進化していけば事前準備も計画も全てAIにさせてしまう事も可能だろう。

AIとコントローラーを連動させればゲームなど人間が自分で操作する必要もなくなるし、もう一歩すすめば視覚の代わりとなるカメラやセンサーと連動して建設用の重機なども人間が操作する必要もなくなる。
実際、僕の知り合いは某自動車メーカーの自動運転の開発をしているが、8年ほど前に「完全自動運転システムはとっくに完成している。あとは法整備だけだ。事故があった時の法律が追い付いていない」と言っていたので僕が考え付く程度のことはもう実現可能なのだろう。

僕は「便利」を否定することはない。
昭和47年からもう50年以上生きてきて急速な利便性の発展を目の当たりにしてきたのだから。同時に利便性が奪っていったものも沢山見てきた。
この便利であるが故に想像を絶する速さで進化していくAIに対して、その先に待ち受ける未来を受け止める覚悟が“AIをラクをするために使っている人間”にあるのだろうか?

AIの進化は人間の「ナマケモノの本性」を暴いてしまう。しかし、暴かれた人間はナマケモノなので本性がバレた所で何も出来ない。
「練習すれば絶対に出来る」事でも「練習をしたくない」からしない。「絶対に出来るようになる」のに「練習」をしない。
「勉強をすれば絶対に頭が良くなる」のに「勉強しても絶対に東大に入れる訳ではないからやらない」と言う。
「食事を減らせば絶対に痩せる」のに食べるから痩せない。

ここには「我慢と努力」を「喜びと楽しみ」に変換「出来る人」と「出来ない人」の“人間としての性能の差”が明確にあるのだが、出来ない人の共通の望みは「今すぐ簡単に望みを叶えたい」という事で、極論ではあるが生成AIはそれを可能にしてしまうのだ。

あとは絶対的な努力が必要な「プロスポーツ選手になりたい」とか「すごいギタリストになりたい」とかいう望みを止めるだけでいいのだ。
もう芸術の世界ではAIが作り出したものの芸術性に対する議論が始まっているし、高等数学レベルでもAIに聞けば大抵のことは答えてくれる。現状では間違った答えが返ってくるかもしれないが、そんなものはすぐに改善されてしまう。

「出来る人」には邪魔とも思えることだが、「出来ない人」にとってこんなに便利なものはないのだ。そして、この利便性から抜け出る事はもう出来ない。抜け出す努力すらしないのだから。

こうなると、AIを使いこなせる人が優秀となりそうだが、優秀なのはAIであり人間ではない。しかし、それを割り切れば便利な使い方も考えられる。
僕ならばGoogleなどと連動しているAIを複数用意し、AI同士で討論させてその中で使えるものを抜き出すという使い方をすると思う。
コンサルティングや、成功率の高い企画案を出さなければならないプランナーなどには打って付けだろうし放送作家やコピーライター的な業務にも使えるだろう。
もちろん自分でもシミュレーションし、リスクヘッジ、トラブルシューティングを考えるし、その上であくまでも選ぶのは僕というスタンスであるが、こんなことも数か月後には僕なんかの考えでは及びもつかないようになるのは目に見えているから、臆病者の僕はAIには近付かないことにしようと思う。
利用する側とされる側がほとんどになるのだから、僕はギリギリまで利用しない側にいよう。

先日ニュースになっていたのだが、生成AIが作成した実在しないグラビアアイドルの写真集が発売されるという。アニメの様なキャラが話し相手になってくれるAIもあるそうだ。もう自分の望むものをなんの努力もなく手に入れることの出来る世界の入り口に立っている。自覚のない人間の「それが嘘の世界だと認識する能力」が奪われつつある。

“平等”“公平”の意味を履き違え、出る杭を叩き、足を引っ張り自分の高さまで引きずり下ろす。
恋愛も結婚も子育ても「メンドクサイ」と言い、少子化の加速を止める事はもはや不可能。
日本国の消滅も現実味を帯びてきていても指すら咥えずに見ているだけ。

今の日本人に最適なAIの活用法とはAIに「日本の未来を明るくする方法」を教えてもらうことなのだろう。
しかし最適解を導き出されても「メンドクサイ」からやらないのも目に見えている。
では次に「メンドクサクナイ日本の未来を明るくする方法」をAIに教えてもらえばいい。

これを「最悪の平和」と呼ぶのだろう。

そうだ、この「最悪の平和を回避する方法」をAIに聞いてみよう。

みなさんのお気持ちは毛玉と俺の健全な育成のために使われます。