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19歳の女ともだち

 大学に入って映画サークルで仲良くなった女の子。学部はちがくて、ミニスカートにレギンスを履いてる子で、ショートカットのシースルーバングで、私とちがってハキハキと話す子で、実は映画の話はそんなにしたことはなくて、彼女の好きな人は、同じサークルの1個上のはるま先輩(仮名)だった。

 はるま先輩ともうひとり人気のかっこいい先輩がいて、同じ学部の女の子と4人でいっしょに池袋に出かけたときの話を私はえんえんと聞かされた。当日18歳の私は他人を馬鹿にしながら生きていたような節があるので、「池袋かよ」とバカにしながらも一応応援していて、LINEききなよとか次ははるま先輩と2人で遊びなよとか、アドバイスっぽいこと言ったりして恋愛相談を受けていた。
 彼女はとても屈託なく笑う子だった。
 大学生で初めての夏休み、一緒に遊びにいこうって話になったけど結局流れて、サークルの撮影合宿で久しぶりに会って、参加した作品が違ったからそのときはあんまり話さなくって、秋になって、1年生ではじめての文化祭の準備期間、彼女がぱったりサークルに顔を出さなくなった。肺炎かなにかになってしまって入院してるから、文化祭は出られないって。大丈夫?ってLINEしたら、「上映会行きたかった」「文化祭の時、はるま先輩の写真撮ってきて」と返事が返ってきた。文化祭の日、上映会が無事終わって打ち上げの居酒屋に移動するまでの間に、「上映会おわったよ」とかそんなLINEを送った。
 そのLINEに、既読はつかなかった。
 打ち上げが終わっても、次の日も、その次の日も、1週間経っても、返事は来なかった。
 しばらくして、彼女と同じ学部の女の子から、「あの子、植物状態だって、いま」と聞いた。
 は?と。はい?と。なった。よくわかんなかったけど、とりあえずその子といっしょにお見舞いに行くことにした。
「お見舞いって果物とか買うんだっけ」
「あ、花とかにしたほうがいいのか」
「花って何にしたらいいんだろう」
「ググろう」
 病院は、初めて降りる駅で、もちろん初めて入る病院で、受付で彼女の名前を告げると、奥の個室の部屋に通されて、彼女のお母さんがいて、ちょっと面倒でごめんねと、彼女に会うまでの準備の仕方を教えてくれた。
 私たちは給食当番みたいに、帽子と割烹着みたいなやつを二人で着せあって、消毒をして、カーテンの向こうにいる彼女にやっと会えた。
 ベッドの上に彼女はいて、喉にも腕にも管がささってた。規則正しいプシュープシューて音がずっとしてた。私たちは二人して立ち尽くした。
 まじか。となった。まじか。と、それしか感情が出てこない自分どうなんだろう。
 彼女のお母さんが、映画のサークルのお友達ですか?と私たちにたずねた。はい、と答えた。文化祭の上映会、この子行くの楽しみにしててね、と、彼女のお母さんがいった。はい、とたぶん答えた。はい、はい、と応えながら、考えていた。

 もう、目、開かないんだ。

 看護師さんがきて、彼女の体が床擦れしないように、動かしにきたり、心電図のコード?を少し直しにきたとき、病院の寝間着がはだけた彼女の脇に少しだけ毛が生えているのを見た。
 私はその瞬間、なんで、と思った。
 夏が始まる前に彼女と、脱毛行きたいよねえって話をしたのを思い出した。なんで、そんなに仲良くないのに、そんなに仲良くなかったのに、もう目覚めないのに、もう話をすることはないのに、脇の毛はちゃんと生えてきて、ちゃんと生きてるのに、なんで。
 私は、彼女のお見舞いにはその1回しか、行けなかった。
 帰り際、彼女のお母さんが、「来てくれてありがとうね」と言ってくれたとき、わたしはどう返したらよいかわからなかった。限りなく他人に近い、ただのサークルの同期で、お前誰だよ、どう悲しんでいいかわからなかった。そもそも悲しいかどうかよくわからなかった。何もかも嘘みたいだったから。

 数ヶ月後、彼女がしんだことをわたしはFacebookのタイムラインで知った。彼女のお父さんが天国の彼女に向けて更新した投稿を、部屋の床で、寝ころびながら読んだ。
 高校の同級生のハワイ旅行の投稿と、ゼミの先輩がタグ付けされた飲み会の投稿にはさまれて、彼女はしんでいた。
 泣かなかった。
 まだわからなかった。

 ある日、彼女が好きだったはるま先輩から電話がきた。あの子、しんじゃったの?って聞かれて、「はい、しんじゃいました」とか、そんなことを、高田馬場から家まで歩いて帰りながら話した。
先輩は「そっか」とか「大丈夫?」とかわたしに言った気がする。私はなんて答えたんだっけ。なんでこの人、私に大丈夫かなんて聞くんだろうって思った。
彼女がしんだこと、サークルの人はほとんど知らなかった。幽霊部員になっちゃったくらいに思ってる人が大半だったのかも。それかみんな、噂には聞いてるけど知らないふりしてたのかも。
 私は彼女がしんだ次の年の夏、1本短い映画を撮った。はるま先輩とよく二人で遊ぶようになって、つけめんを食べた日の帰り道、はるま先輩に告白されて、断った。そして次の冬、彼女のことは特に関係なしにパタリとサークルに行くのはやめた。

 つい先々月、サークルの先輩のひとりが結婚式を挙げて、そのあとみんなで神楽坂の居酒屋で飲んだとき。
 先輩のひとりが、突然彼女の名前を挙げた。
「聞きづらかったんだけど、あの子って、しんじゃったの」
 わたしは、焼いたのどぐろをつつきながら
「はい」と答えた。
「そっか」
 先輩の反応は、いつぞやのはるま先輩のそれと一緒だった。
「それだれだっけ」
「ほら、あの、はるまのこと好きで追いかけ回ってた…」
「ショートカットの?え、しんだの?まじで?」
「お前仲良かったもんな。辛くなかったの」
「そんなに仲良くはなかったです」
 そう、そんなに仲良くなかった。
 泣けるほど、悲しめるほど、長い時間を過ごしたわけじゃない。
 わたしが知ってるのは彼女の、大学1年生のたったの半年だけ。
 辛いかといったら、辛くないんだと思う。わたし、彼女がしんだ日の次の日だってふつうに学校いってバイト行って、ごはんだってふつうに食べてた。辛くない自分、ひどいなって思いながら、ごはんふつうに食べてた。
 そのことを思い出して、あれから7年経った今、喉の奥がつっかえそうになる。酔っ払っていた私は、だーっと、先輩たちに当時のことを話した。
「文化祭の時、あの子から、はるま先輩の写真送ってってLINEがきててたんです。ちょうど入院しちゃって文化祭これなかったから。はるま先輩に写真撮りましょうっていうの面倒だなあ、やだなあって思ってて、それで、写真、撮らなくて。写真送れなくて。ごめんねとかも言ってなくて。なんか、なんとなく返事返さないまんまでいたら、そのまま、植物状態になったって、聞いて、うそかと思って。うそじゃなかったですけど」
 私は、なんで、はるま先輩の写真撮ってあげなかったんだろうってずっと思ってた。あの子に送ってあげなかった。写真撮らなかった。文化祭、あの子のことを忘れて楽しんだ。そのとき、あの子はもうすでに、植物状態になってたのに。
 その日、先輩たちと、延々と飲んだ。
大学の時は朝まで飲んでみんなで吉野家で牛丼を食べて帰ったりしたけど、それなりに大人になった私たちは終電で帰った。
 先輩のひとりが、去年生まれた赤ちゃんの寝返りの動画を見せてくれた。
 のどぐろ、おいしかった。
 あの子の分まで生き延びようとか、そんな前のめりなことは思わない。ドラマとかでそういう類のセリフを聞くたびに、なんて独りよがりなんだろうって思う。
 彼女の人生はぜったいに彼女のものだ。
 そんなに仲良くなかったけど、忘れないで、たまに眠れなくなりながら、とりあえず引き続き、生活したりなど、するから。
 と思ったよ、ごめん、そんなんしか、まだ、ないけど。

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