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来世でもっと仲良くしたい食べ物3選

わたしは嫌いな食べ物がない。
好きな食べ物を聞かれるとたいてい納豆ご飯と答えるけど、好きというか、これまでの人生において総摂取量が多いものが納豆ご飯な気がするだけで、1番好きかと言われるとちょっと不安である。
そして嫌いな食べ物は、子供の頃からなかった。少なくとも、嫌いな食べ物を聞かれたときにポンと思い浮かぶほど嫌いな食べ物はない。
出されたものは基本的になんでも食べられる。給食も好き嫌いで残したことはない。
でも、嫌いではないけど相性がわるい食べ物、がいくつか思い浮かぶ。
誰にも聞かれちゃいないけど以下は、わたしが嫌いではないしむしろ食べたいけど食べるのに少し気合が必要な食べ物についての記録だ。

①ラーメン(とその他いろいろな麺類)

これに関しては本当に相性が悪い。というのも、わたしは麺がすすれない。
子どもの時からカップラーメンが大好きだったのでよく食べていたけど、全然びっくりするほどすすれない。中学生になったらすすれるようになるのかな、と思いながら小学校を終え、高校生になったらすすれるようになるのかな、と思いながら中学時代を終え、東京行ったらすすれるようになるのかな、と高校を卒業し、どんどん大人になり、いまだに麺がすすれない。さすがにここまでくるとわたしは気づく。これはきっと、練習しないとすすれないやつなんだ。5つ年下の弟は子どもの頃から本当に麺をすするのが上手で、彼がインスタントラーメンを食べているときのズゾッと麺たちが速やかに口内に回収されていく様子はとても気持ちがいい。その向かい側でわたしは、箸で麺を巻き上げてはもぞもぞと食べ、手動で巻き上げてもぞもぞ食べ、を繰り返し非常にテンポが悪い。麺もどんどん伸びる。インスタント麺からしても、わたしに食べられるより、弟に食べられる方が誇らしい麺生(めんせい)なのではないか。静かに悔しい思いをしている。猫舌なのも悪いかもしれない。とはいえ、きょうだいたちは特になんの訓練をすることもなく自然と麺がすすれるようになったのに、なぜわたしだけ。大学時代に付き合っていた人が、飲み会終わりにラーメンを食べようとわたしを誘ってくれて、わたしは葛藤の挙げ句ラーメン以外の食べ物を注文すればいいと思いついて行くことにしたのだが、なんと最悪なことにその人行きつけのラーメン屋はラーメンオンリーのラーメン屋だったのだ。なんてことだ。とはいえ長年麺をすすらずに生きてきた女、麺をすすってるっぽく食べる技術は身につけてきている。カウンター席で並んで座るお店だったのを幸いなことに、わたしは麺をすすってるっぽいリズミカルな手の動きで必死でラーメンを食べた。が、わたしの当時付き合っていた人は恐ろしく食べるのが早く、ものの数分で大盛りラーメンを食べ切ったあと暇そうにわたしのほうを見てきたのだ。やめろ、こっちを見るな。あのときの、麺をすすってる風にただリズミカルに麺を口に運んでいる滑稽なわたしに気づいた彼の顔が今でもフラッシュバックする。え、こいつ、麺すすんない系の女?とかわいこぶってあえて麺をすすらない選択肢を取っていると思われるのも嫌で、本当はすすりたいんだ!と声を大にして説明したかった。
いつしかラーメンを避けるようになったわたしは、友達などにラーメンやその他麺類の誘いを受けると、自らをラーメン嫌いという設定にして、炒飯とか、炒飯とか、炒飯などを頼んで乗り切るようになった。もちろん仲の良い友達とは気兼ねなくラーメンを食べることもあるけど、大抵の人は炒飯である。炒飯いつもありがとう。ラーメン、外ではいつも嫌いなふりしてごめん。本当はラーメン大好きで、家では納豆ご飯の次くらいに食べているのに。外ではなかなか食べられない。ひとりでラーメン行けばいいのに、と言われそうだけど、わたしはひとりで外食するくらいならお家で納豆ご飯を食べる人間なのでその選択肢はない。

②モツ

モツ、大好き。でも出会い方があまりよくなかっただけに、いまだに食べる時少しドキドキする。
わたしとモツの出会いは小学校2年生の時。仲良しのさやかちゃんのお家のバーベキューにお呼ばれして、近所の河原でお肉をいただいていたときのことだ。
ちょっと焦げ目のついた白いプルプルのモツをわたしのお皿に乗せたさやかちゃんのお父さんが、これもおいしいよ、とわたしに言った。もちろんわたしは当時から嫌いな食べ物などなかったので、初めましてのモツを臆することなく口に入れた。
のだが、わたしは、全然、そのモツを飲み込むことができなかった。噛んでも噛んでもなくならない。小さくならない。溶けてもいかない。噛んでも噛んでも、存在感がいっそう増すばかりのモツ。そのあともさやかちゃんのお父さんとお母さんは色んなお肉をわたしのお皿に乗せてくれたのだけど、わたしは口の中のモツをどこにも逃がすことができずにうっすら涙目になりながら戸惑っていた。せっかく勧めてくれたものを「ペ」するわけにもいかず、素知らぬ顔で他のお肉を食べて飲み込んだりしたのだけど、モツだけはどうしてもいなくならない。タイヤのゴムでも食べているような、これは本当に食べてもいい部位だったのか、不安に駆られる。
お昼の後はさやかちゃんとさやかちゃんの弟とバドミントンをしたりしたけど、わたしの口の中にはずっとモツがいた。夜、車でお家まで送ってもらい、わたしは結局モツを1日中口の中に入れたまま帰宅した。玄関で母が「楽しかった?」とわたしに尋ね、わたしはモツを口に入れたまま器用に「たのしかった」と答えた。母に怒られるのがこわくて、こっそりモツをティッシュに「ぺ」して捨てた。わたしはモツがこわかった。
モツと再会したのはたぶんハタチを過ぎ、東京に出てきてからだ。居酒屋で飲むとたいてい誰かしらがモツを頼むのだが、居酒屋のモツはとてもおいしい。やわらかい。ちゃんと飲み込める。だが、いまだにあの時の緊張がよぎる。どうしてもモツが飲み込めなかった日の記憶がいまだにわたしにまとわりついているので、全然平気で食べられるけど、自らモツを食べたいと思うことはないし、自分からわざわざ選ぶことはない。

③りんご

りんご、大好き。でもりんごを食べるとかなりの確率で胸焼けする。よくりんごは胸焼けを治すのによい、なども聞くので、なぜかはわからない。生クリームだらけのパフェを食べるときより、早めに確実に胸焼けする。その日の自分のコンディションによって、3切れいけるときもあれば、ひときれでわりとアウトなときもある。でもたいてい、胸焼けしてもりんごが食べたいときの方が多いので、わたしはりんごが出てくると100%でりんごを食べる。だが、実はこっそりいつも胸焼けをしている。りんごを食べるとこうなると自覚したのは高校のころだった。お弁当によくりんごがついていたので。でもりんごのことは好きなので、絶対に食べる。でも5時間目が体育だったりすると、りんごのせいで最低なことになる。でもそれもひっくるめて、りんごのことが好き。胸焼けする覚悟でりんごが好き。ちなみに、りんごジャムとか、アップルパイとかではこうはならない。生のりんごとわたしは相性が悪いらしい。相性が悪いところも含めてりんごのことが好き。皮ごと食べるのが好き。明日も明後日もめげずに食べて、食後数十分気持ち悪くなることだろう。もしわたしに恨みがある人間がいたら、確実にりんごを食べさせるのが良いと思う。着々とHPを減らせると思う。

さて、ここまで書いて、なぜわたしは自ら弱みを露呈したのか不思議になってきた。
わたしと相性の悪い食べ物の御三方とは、本当に、心の底から来世で仲良くしたい。
願わくば今世でももっとよりよいお付き合いをしたい。
だってわたし、みんなのこと嫌いじゃないし、むしろ好きなのだ。だからもっと真っ直ぐに、ラーメンとモツとりんごと向き合える日が来ることを願ってる。

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