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真夜中のキッチンでスープを煮込む



昨日の夜はなぜか涙が止まらなくて、途方に暮れてしまった。
もしかしたら今の私の状態は異常なのかもしれない。何が悲しいのか、具体的な理由がわからない。
ひとつずつは些細なことなのだ。夫とくっついて眠りたいけれど、彼はそれをすると快適に眠れなくなることとか。麻婆豆腐の味が濃くなりすぎて、明日のお弁当に持って行ってもらえないとか。私のことをわかってもらえない、と思ってしまうとか。
そういうささやかなことに傷ついて、その傷が同じところばかりを抉るものだからぱっくりと割れてしまって、中から涙が必要以上に溢れて止まらない。そんな状態。



夜中の3時に目が覚めた。キッチンの仄かな灯りの下で三角座りをしていると少し落ち着く。何が悲しいって、華の新婚生活をこんな状態で過ごしていることの申し訳なさ。優しい夫に、いつか愛想を尽かされてしまうのではないかという恐怖。そして私もいつか彼を嫌いになってしまうのだろうかという恐怖。
ありもしない将来を憂いて過ごす無意味さは、頭では重々承知しているが、どうも心が追いついていないようで。この感情の荒波に、現時点では揉まれるよりほかないのだ。

どうしようもないので、寝室から布団を引っ張ってきて、キッチンで少し眠った。少し楽しい気分になった。お腹がすいて仕方なかったから、何が食べたいか想像したら、スープだった。スープとはこういう時の食べ物なのだなぁと腑に落ちた。にんじんと玉ねぎをみじん切りにして、コンソメかトマト缶で煮込もう。



野菜をとんとんとみじん切りにして、スープをコトコトと煮込む。この一連の作業には、どうも人を癒す効果があるようだ。
約30分で何もない空間からスープを生成した。私、とても偉い。有能。
夫とおそろいのカップにできたばかりのコンソメスープを注いで、ゆっくりと咀嚼する。空になる頃にはお腹も心も落ち着いていた。
昨日図書館で借りてきた川内有緒さんの『パリの国連で夢を食う』を読む。今のわたしには国連でバリバリ働く彼女の姿は眩しすぎたので、少し距離をおきつつパラパラと読み進めた。お父さんが亡くなるところで胸がギュッとなった。
人生は短い。自分が何をしたいのか、何に違和感を感じるのかを敏感に感じ取ってあげたいと、私もそう思った。読み終わってから、散歩にでかけた。すっかり朝日が昇っていて、でも真夏の朝らしくさわやかな空気だった。少し元気になった頭で、私の今のしんどさは、もしかしたら違和感を感じている証なのかなぁとぼんやり思いながら、ゆっくりと歩みを進めた。帰ったらもう少し本を読もう。

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