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閉じられた貝殻の中に、広がる宇宙の話(かな?)

またちょっと、植物ネタから離れてしまいますが…💦

今日は、つきよるほしこさんが記事で紹介されていた、『海からの贈物』という本を読んでいました。

つきよるほしこさんのレビューはこちらです↓
ほしこさんは、思わず心を掴まれ引き込まれてしまう、詩やエッセイを書かれていて、一緒に紹介されている音楽も素敵です🎶(紹介する私の語彙力がなくてすみません💦)


この本は、大西洋横断飛行で有名なリンドバーグの奥さんが書かれたということなのですが、
文中では、そんなことには触れられておらず、一人の女性である筆者自身が、つかの間日常を離れて浜辺の小屋で過ごし、思索したことに関するエッセイとなっています。

筆者は普段、家族の世話や日常の細々した用事に追われて、慌ただしい日々を送っています。
女性は歴史的にそういう役割を担ってきて、外的な活動に向かえなかった代わりに、内的な力を得たと、筆者は述べているようです(私の解釈ですが)。

アメリカではつめた貝のことを月の貝と言うが、誰がこの貝にそういう名を付けたのだろうか。誰か、直感力が発達した女ではないかと私は思う。

と筆者は書いていますが、何だかハッとさせられました。

私は普段女とか男とか、あまり意識はしないのですが、女は損してるな……と思ってしまったことはあります。

例えば……
私は植物が好きで、自然関係のライターをしていました。
が、植物のことをもっと勉強するために、休日に自然観察会や講習会に参加したり、全国津々浦々の植物をみて歩いたり、自然が豊かな山に登って植物を観察したり、著名な先生にお会いして話を聞いたりしなければ、その道を極めることは出来ない、と思っていました。
小さい子どもの子育て中だった自分には、どれも出来ないことばかりでした。

森林インストラクターの資格もとったけれど、全然森林に行けていない……
これじゃ、なんちゃってインストラクターだ、なんて、自虐的になってしまっていました。

今考えれば、女も男も色々ですし、男性にも色んな事情のある人はいるでしょう。
女だから損してるということは、多少あるかもしれませんが、それだけではないと思います。
本当に実現したいと思えば、もしかしたら、色々方法はあるのかもしれません。

でも、それ以上に、
一つの価値(例えば、植物の知識を網羅すること)に縛られて、無理をしてヘトヘトになってしまうのも、違うのではないかな? と、
先ほどのリンドバーグ夫人の言葉で気づきました。

世の中には、山登りをするヒマがない人は、たくさんいるでしょう。
そういう方と一緒に、自然を楽しむという役割は、自分に合っているのではないか……
大きな自然だけではなく、身近な小さな自然に気づく感性を、自分の中に育てることも、良いのではないか……

日常に疲れている人も、自然に癒される機会は、あっていいはずですよね。

女は家庭という一つの狭い範囲で、その家庭をなしている一人々々に認められる独自のものを、また、今という時間の自然の姿を、また、ここという場所の掛け替えのなさを決して忘れたことがない。そしてこれが生活の基本であり、そしてまたもっと大きな、多数とか、未来とか、世界とかいうものを作っている要素なのである。

ちょっと長く引用してしまいましたが、これは真実だなと思いました。

女とは限りませんが、ある程度、限られた条件の中にいてこそ、感じられることがあるのかもしれません。

自然が良いものだとか、大切だとか、そういうこと以上に、
自分にとって、自然はどういう存在なのか。

自分自身の内側にあるものをしっかり見つめて、自然の中に開放して……
すべてはそこから始まるのかな、と、思わせてくれた本でした。

もしかしたらそれが普通なのかな? 私がおかしいのかもしれませんが……💦
私なりの読み方ではありますが、今の自分にスッと落ちてきた本でした✨✨

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