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読書感想:人斬り以蔵 司馬遼太郎著

人斬り以蔵、とは幕末に暗殺者として名を轟かせ、無宿人として斬首された岡田以蔵の通り名である。
この物語は、その男以蔵の、純朴さと狂気をはらんだ短い人生を描いた歴史短編小説である。

近年、同作者の著作である「燃えよ剣」がドラマ化されたり漫画化されたりして人気を博している。
「燃えよ剣」の主人公である土方歳三は同時代の剣客であるが、土方は新撰組という団体に所属し、尊王攘夷を唱える壬生浪士組を率いていた、いわば浪人集団のエリート的な立場であった。そして、その潔い死にざまが外国人にまで賛辞を受けるカッコいい存在として描かれている。

それに対して以蔵は出自は新選組に相対する土佐藩士 武市半平太率いる土佐勤皇党の一員でありながら、その党首である武市にすら品格の低さから蔑視され、最後には見捨てられ、そして官吏には岡田以蔵という名前まで剥奪されて無宿人として斬首の刑となり、名もなく散っていった男だ。

幕末、時代遅れの剣客であったのは2人に共通する点だが、カッコいい土方に対し、無知で、みじめな生涯をおくった男として有名になったのは司馬遼太郎の小説のせいだろうか。

まず、小説の書き出しが”不幸な男が生まれた”である。
その男の不幸について書く、と一行で表現されている。

そして、以蔵は幕末に下級武士である足軽の家に生まれたとあり、それに連なり物語の中にその時代の土佐における武士階級制度の苛烈さについて書かれており、私は読んでいるとそのことにつまづいた。
学校で習ったように江戸時代の階級制度を士農工商の四段階だと思っていた私には、武家の中にも細かに階級制度があり、下級武士というものがどのような存在だったのかを想像することに困難を抱えた。

上士(じょうし)と呼ばれる上級武士には、郷士、足軽と呼ばれる下級武士に対し「無礼討差許(ぶれいうちさしゆるし)」とあり、いわば気に入らなければ切り殺しても構わぬという状態であったという。

以蔵は悔しさから独学で剣術を取得し、さらに武市半平太の道場で磨きをかけ、それを殺人の剣として用いるしかなかったところに以蔵の悲劇がはじまる。
そして、武市に心酔するあまりに頼まれてもいない暗殺をくりかえし、それゆえに便利に使われたのではないかというのは推理なのか事実なのかはわからないが、定説としてあるようだ。
さらに土佐藩が対面をたもつために武市率いる勤皇党を撤廃したのちには、土佐藩にも見捨てられ以蔵は行き場をなくし無宿人となったという。

自由闊達な江戸文化、とひとことで江戸を賛辞する風潮もあるが、実際江戸時代のことはなにもわからない。最近になって江戸末期に歌川一派が浮世絵で勇み肌などの戦乱物を描いた理由に、徳川よりも前の時代の歴史、例えば秀吉や信長の業績については口外が法度であったため、諧謔をこめてサブカルの中で描いたのではないかという論説を読んだ。

武士階級の中ですら暴力といじめが日常化していたというから佩刀を許されない下級の人々にはどのようであったろう。

同時代に出自を同じくする足軽の家に生まれた人に新撰組一番隊隊長であった沖田総司がいる。

沖田については記録が少ないが、やはり、その短くも激烈な人生がゆえに伝説的な存在だ。

幕末の格差がいじめを助長した末、さまざまな反動を産んだ時代であったということを前提とすると以蔵の無知や狂気には憐憫すら覚える。

”主なければただの人斬り”と言われた時代に”ただの人斬り”として散っていた以蔵だが、主があれば人斬りも任務として認められていたかもしれない。
名を残し、切腹くらいは許されたかもしれないだろう。

悩みに悩んだ末に最後には「幕士」として散ったのが土方歳三だ。どうせ死ぬなら罪人としてではなく武士の端くれでもいいから、という選択だったかもしれない。

この物語の最後は、以蔵は牢に捉えられ拷問を受けている中で自白を恐れた武市から自害のための毒が届けられたことに激怒し、土佐勤皇党についての情報を暴露して党を撲滅に至らしめたとある。

善悪はなにに由来するのか?をさらに考えてみたいと思う。

司馬遼太郎の小説には書かれていないが岡田以蔵は辞世の句が有名だ。

「君がため 尽くす心は水の泡 消えにし後は澄み渡る空」

27年の生涯であったという。
”君” とは敬愛した武市半平太のことであろうと言われている。
蔑まれてもなお尽くした、純朴さが心にしみる。







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