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blog.ver44 やりたい勉強と仕事で必要な勉強と。

今日も新人PTとお昼休みに長々と話しました。
その中で話した内容を少し書こうと思います。

今日、新人さんにインプットとアウトプットの提案として学生の頃に行っていたであろうデイリーノートを行うように勧めた。
もちろん勉強の意味もあるし、今後の教育で先輩に引き継ぎを行うための資料でもある。
先輩が戻ってきた時に何を知っていて何が知らないことなのかがわかると指導しやすいのではないかと思ったからです。
すると、拒まれました。
理由としては自分で文献を読んで勉強しているからということだからだそうです。
本人からも自分で言ってました。「この業界は一生勉強だと。」勉強する楽しさは僕も経験したことがあるのでわかります。学生の頃は受験以外にしがらみが無かったのでひたすら勉強でした。
僕も当時は勉強ハイになっていて勉強することが毎日楽しかったです。

でも、その言葉。聞いた瞬間に何か違和感がありました。
どんな違和感なのかと言われると表現が難しいのですが、覚悟しているようで上っ面なような発言じゃないのかな?なんて感じました。

最近思うのです。
年齢が高いから無駄なことを省いて効率よく勉強したいと言っているのだが勉強は文献を時間かけて読んで整理するのに時間がかかってしまうという矛盾。
もちろん文献を読んでいて知らないことがあると全て自分に必要なことだと思って一語一句意味を知る必要があると思うようになります。
学生の頃から文献をあさっていたのだろうけど必要な部分を抜粋するということはできていないのだろうか?と思いました。
もちろん読むだけで理解できればいいのですが、暗記は苦手だからそれは難しいと本人は言いつつ何かにまとめようとはしていない。
なんなら、私が話した内容は基本的にメモを取らない。どこまで理解しようとしているのかが私にもわからない。

もしかしたら書くことがめんどくさいからなのか?もちろん伝えたことをしっかり覚えていればいいのだが。私もそこをもっとしっかりした方がいいかもしれない。
もう一度伝えたことは知っているものだというスタンスで話をしていってもいいかもしれない。
なぜメモを取らないのかは不明である。
毎日午前午後で質問を伺うようにしている。そういった習慣を作ろうとしているからあえて聞いているのだから何か質問を書き留めておくとかしたらいいのに。と思ってしまう。
ただ、やっぱり手技などの小手先を知りたいのだろう。それよりも今伝えていることの重要性を一生懸命伝えているのだが理解し難いらしい。なかなか鵜呑みにしてくれない。どうしてなのかって就職して自分がやりたいことと不一致なのだから。

私は何度か伝えている。

仕事をさせてもらているという意識を持ってもらいたい。』


自分のやりたいことと仕事は基本的に違うのです。
そこを一致させるのは指導する側の問題でしょうか?
指導を受ける側の問題でしょうか?

今考えると、先ほどの「一生勉強」という言葉はこの問題があるからでしょうか?


やはりその新人さんの動向を見ていると言っていることとやっていることがいまいち不一致な部分があるかな?って思うのです。

今こうやって振り返ってやっと違和感があらわになってきている実感がある程度でやっぱりこれまで一生懸命時間をかけて訴えてきたことに響かなかったのかと思うとかなり労力を使ったなって感じてしまう。
教育なんてこんなことの連続に過ぎないでしょう。
こんな経験を積み重ねることによって、どんどん簡素化してくるのではないでしょうか。もしこれが事実なのであればかなりかなりしんどいです。
でもそうかもしれませんね。

まあそんなネガティブ思考はさておき。


『仕事をさせてもらっているという意識も持ってもらいたい。』


どういうことか?
まあそのままの言葉として捉えてもしっかり意図を踏むことになるのだが、そもそも仕事をもらえているということにもなる。仕事がもらえていないということであればそもそも稼ぐことができないのです。稼ぐことができなければ生活ができない。誰でもわかること。
するとまずやらなければならないことは仕事のために行動することではないでしょうか?

その新人さんから話を聞きました。
新人さんは一度国試を落ちているので入学した時の同期とは一年遅れてPTとなったのですが、その同期から聞いた話だそうです。
その同期は勉学に勤しんで文献もたくさん読んでさまざまなことに勉強熱心だたそうです。ですが総合的に会社との不一致から仕事ができない認定をされて事実上の退職を宣告されたそうです。なので自主退職をしたそうです。
新人さんが言うにはその人はすごく勉強ができていたのにそのような状況になってしまったとのことでした。

おそらく、会社で求められていた内容の勉強ではなく自分がやりたい言わば趣味の領域となる勉強を中心に行っていたのだろうとその話だけで考えるとそう思いました。

勉強の仕方は学生の頃と社会人になってからと違うのです。

私もこれに気づいたのは社会に出てからかなりあとだった気がします。もしかしたら今の職場に勤めて先輩と出会わなければはっきりとは気づかなかったかもしれません。

そこをどうやって伝えていくか。

私の中でも答えがはっきりしていないからなかなか伝わらないのだろうか。

また明日からこのテーマについては考える必要があるようです。

やはり自由にさせてはいけないですね。選択肢を与えないことも大切かもしれません。
少し仲良くなり過ぎたのかもしれませんね。
謙虚の姿勢が本当の意味で謙虚じゃないかもしれません。が、ただそこを自分が求め過ぎているだけなのかもしれません。

もう少し仕事の意味を履き違えてないか訴えてみようと思います。


今日は最近の教育事情の悩みを書く回になってしまいました。

最後までお読みいただきありがとうがございました。


それでは今回はここまで。

おしまい。

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