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授業の合間の雑談から蘇る過去の「海外の貴重な経験」【Aflevering.117】

 面接や小論文対策をする時、自分の答えを用意することばかりに囚われている時は、なかなか納得のいく回答が出てこないことがよくあります。
 それは、良い答えを探そうとしてしまうからなのか、全く関係ないことをしている時の方がかえって良いアイデアが浮かんできたりします。これは、脳の「デフォルトモード・ネットワーク」という機能が働いているそうです。

 今朝は、面接・小論文対策の授業をしました。私は過去にその生徒から、これまでの海外生活について学んだことや、これから取り組んでみたいことなどをたくさん話してもらい、面接や小論文用のネタとしてまとめていました。
 その生徒がこれまでどんな経験をしてどんなことを感じ取ってきたのか、今の社会やこれからの自分のあり方について、どう相手に伝えるのかをある程度イメージできていました。
 しかし、今日の授業で何気なく行っていた雑談の中に、新たな海外生活で得た貴重な経験があったことが分かったのです。

ペットボトルのデポジット制

 今日の授業では、SDGsに関する「自然環境」というテーマで、ディスカッションをした後に少し休憩を挟みました。
 休憩の間雑談をしていると、ふいに生徒から「先生、そういえば、、、」と、自分の過去の経験を話してくれました。
 スーパーで買い物をしていて、ペットボトルを購入する時に表示されたものとは違う値段だったので、店員にその理由を尋ねてみたそうです。
 すると「デポジット制」という、事前に多くお金を払ってもらい、それをスーパーに再び持ってくることでお金の一部が帰ってくるという仕組みがあることを知ったそうです。

自ら積極的に動いて、環境政策を身近に感じられた貴重な経験

 生徒は「こんなことがあったんですよ。」という何気ない世間話のようでした。しかし私からすれば、環境問題への取り組みを学んだ経験に加えて、自ら気になったことをお店の人にきちんと聞くことができたという素晴らしい行動力が含まれていました。
 ちょうどその生徒の学校では、環境や資源の問題に関する授業が行われていたそうです。それと同じ時期にスーパーで「デポジット制」があることを知って、環境政策に興味を持つことができたと話してくれました。

いろんなところにヒントがある

 もし小論文の授業内容が、表記の誤りの部分や論理が通っていないところだけ指摘するようなものだったり、面接の授業内容も生徒の発言だけに対してコメントを加えるようなものであったら、その経験は言語化されていなかったかもしれません。
 私が大切にする「ありのままの自分で学習し、ありのままの自分で大人と接する」ことにより、心をリラックスさせていろんな経験を言語化してもらいたいと思っています。
 授業の合間の世間話であっても、それは学習につながる可能性もあります。そこから、今まで自分では気づいていなかった新しい自分を認識して、自分という人間がどういう人間なのかという認識を確立していってもらえたらと思います。

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