見出し画像

夫婦で話し合って決意した「海外移住」【014】

 以前「教育」という視点で移住に至った経緯を投稿しましたが、ここでは私たち夫婦がどのように話し合い、海外移住をすることにしたのかについてまとめました。妻は娘と共に2019年の5月から、私は2020年の3月からオランダで生活しています。

 それまでの私は、日本語以外でコミュニケーションを取ったことがほとんどなく、海外で生活することに不安を感じていました。初めは海外移住についてあまり前向きには考えていなかったのですが、夫婦で対話を重ねていくことで、私の気持ちは少しずつ変化していきました。私は日本で公立高等学校の教員をしていたのですが、これからの日本の教育を本気で考えるのであれば、海外生活の経験も「私にとっては」必要で、子育ての環境を変えてみることも 1 つの選択肢としてあっても良いのではないかと考えるようになりました。ただ、海外移住というのは子どもにとっては大きな環境の変化となるので、保護者は細心の注意を払う必要があるとも感じています。そのため、この投稿は海外移住を単に薦めるという話ではなく、私自身が自己研鑽のために海外生活を望み、当時の自分が考えていたことを記録したものであり、「こんな人もいるんだな」と思ってお読みいただければ幸いです。

仕事も家庭もオーバーワークな毎日

 日本の教育現場で働いていた頃、私は職場の仲間と「生徒にとって必要な授業や教育のあり方」について考えたり議論することが好きでした。私が勤めていた高等学校の生徒は、4年制大学への進学希望者がほとんどを占めています(以前は、工業高校に勤めており、高校を卒業して就職する生徒の指導が中心の学校でした)。

 なぜ子ども達はこんなに過剰な競争を強いられているのか、結局は暗記できた者勝ちみたいな入試問題の傾向(社会科について)は何とかならないのか、なぜ慌てて試験範囲まで終わらせるために授業の質を落とさなければならないのか、なぜ生徒1人ひとりとゆっくり話せる時間が持てないのか、私たちはなぜこんなに忙しいのか、、、。「仕方ないよね」と片付けることができなかった私は、疑問に思ったことをずっと頭の中でめぐらせていました。

 当時は妻も高校の教員をしており、夫婦でスケジュールを常に調整しながら二人三脚(実際に2人ではまわせていなくて、どちらも両親に頼らざるを得なかったのが事実です)で1人の娘を育てていました。保育園の送り迎えを分担し、学校では「勤務時間内には到底終わらない業務」を、職場にいられる限られた時間で目一杯取り組みました。

 平日の家族での時間も大切にしたいと考えていた私たち夫婦は、夕食から子どもの就寝までは一緒に過ごし、子どもが寝てからもしくは朝4時に起床して授業準備をするという生活をしていました。今思えば、夫婦ともに精神的に極限状態であったような気がします。当時2〜3歳の娘が突然ぐずったり機嫌が悪くなるのは年齢的には当然のことでしたが、それによって他のスケジュールに大きく影響が出ることにストレスを感じていました。当然、娘にとってぐずったりわがままを言うことは、彼女自身の心の成長のためには必要なことであり、私たちがゆっくり話を聞いてあげなければいけないと頭では分かっているのですが、それを受け止める余裕がこちらにない、そんな生活が続いていました。

 私たち夫婦は子どもに対して「世の中には自分とは異なった価値観を持つ人がたくさんいる」というのを肌で感じながら、それを受け止められる人になってほしいと思っていました。そのため、私たちが求める子育て環境の1つとして、インターナショナルスクールの保育園に通わせることを選びました。

 インターナショナルスクールの学費は一般的に高いと言われており、私たち夫婦も少し高いかなと直感的に思いましたが、私たちが望む子どもの環境だったのでその保育園に通わせる選択をしたのです。その当時は、残念なことに職場の方から「保育料にそんなお金をかける必要ある?うちは普通で良いや。」とか「子どもが小さいうちは、どっちかが仕事をやるべきじゃないだろ。共働きでしんどいのは君たちのわがままだよ。」みたいな事を言う同僚もいました。これに対して私は、「あなたの言う普通って何ですか?」とか「働くことと子育てをすることをどっちかしか選んではいけないってことですか?」と聞き返した時に、この人ちょっと変わってるなという顔をされたのを覚えています。

 その一方で、同じ職場には「夫婦で話し合って決めたことが一番だと思うから、何とか仕事の効率上げてやるしかないね。教材研究とかは家でやるしかないけど、、、僕もそうしてる。」(歳の近い先輩)や「子育て中の人でも働く方が社会全体としては良いと思うよ。子育て世代の働く環境は変わって欲しいし、今の状況はすごく大変だと思うけど、子どもはあっという間に大きくなるから、子育てが終わった僕らに任せられるところは任せて、家族の時間大切にしてね。」(定年退職間近のベテランの先輩)といったように、自分達の信じた道を歩むことの大切さや、職場内でお互いの事情を考慮して支え合うことの大切さを教え支えてくれた同僚もいました。

「体の異変」が考えを変える転機となる

 体力には自信のあった私でも、疲労が重なり通勤途中の電車の中で貧血で倒れてしまったり、ヘルペス(帯状疱疹)にかかるなど、仕事をしたくてもできない状況に陥ることがありました。無理をしすぎると身体は何らかの信号を出してくれます。体の状態が悪いまま仕事をすると業務のパフォーマンスが落ちてしまい、さらに授業でも、細かい観察や活動状況に合わせた内容の軌道修正などの判断ができず、生徒達に大切なメッセージを届けられません。このままでは、自分の大好きな教育の仕事を全うできず、最悪命も落としかねないのではないかと考え、何とか生活を見直すべきだと思いました。そして、夫婦でこれからどうするべきなのかを徹底的に話し合うことにしました。私にとって「体の異変」が考えを変える転機となったのです。

夫婦の対話で自分たちの現状やこれからについて深く考える

 私たち夫婦は日頃から話すことが好きだったので、これまでの自分達のこととこれからについて話し合うことにしました。子どもに対して心の余裕を持って接することができているか、自分の仕事に対して「こんなもんだ」とどこか諦めて嘘やごまかしをしていないか、今の私たちは幸せなのか。

 娘が3歳になるまで、妻は週3日での勤務を選んでくれていましたが、それでもどこか「仕事」も「子育て」もやりたいけれどやり切れていない自分達がいました。「住むところ」を変えるのが良いのか、「仕事」を変えるのが良いのか、はたまた「学校」を変えるのが良いのか、いろんなパターンのアイデアを夫婦で出し合い、自分たちが抱えている問題を解決するにはこれからどうすれば良いのかを何度も何度も話し合いました

 自分たちの納得のいく結論がなかなか出せない時に、妻の同僚がオランダに関して書かれた本を薦めてくれたのです。そこには、働き方や子育てに関して、日本とは全く違う考え方をもつオランダがどういう国なのかということが書かれていました。また、そのオランダがユニセフの報告では「世界一子どもが幸せな国」だと言われているのです。初めに心を掻き立てられたのは妻でした。「何でも思い立ったら行動」という妻は、オランダについてどんな国なのかを調べ始め、自分達が今後教育に携わっていくのであれば、オランダに渡りオランダを含め北欧の国の教育や社会を実際に見ておきたいと思ったのです。

 私は当初、移住については反対でした。その理由は、自分が日本語以外で話せないということと、子どもを育てる環境を大きく変えることに不安を感じていたからです。しかし、夫婦で何度も話し合い、自分が考えていることを整理していく中で、私なりの結論にたどり着くことができました。それは、「今の自分が教育について抱いている疑問と向き合うために、日本とは違った教育や社会の中で生活すること、子どもに多様性を受け入れる力をつけてほしいから海外で生活すること、どちらも良い経験となる」ということです。

 ただし海外へ移住した場合、子どもの言語や情緒面など保護者としてのサポートを継続的に行いつつ、新しい環境に適応できているかどうかを慎重に見極めて判断しなければなりません。それについて、1つのことを夫婦で約束しました。それは、「子どもがオランダの環境にどうしても馴染めないようであれば必ず帰国するという選択」を残しておくということです。

「海外移住」を自分なりにどう受け止めたか

 日本での仕事については、何かを途中で止めるのは勇気のいることで、これまで取り組んできたことが無駄になるのではないかという気持ちもありました。むしろ、「教育」の道を自分なりに一生懸命歩んできた結果として、たどり着いた答えが「海外生活での経験」なのであれば、また次の道に進んで何か新しいことに出会うのも良いことだと思ったのです。今はオランダに来て、オランダ人以外にもオランダ在住の日本人の方々も含め、いろんな国籍やルーツを持つ人々と出会い、自分のものの考え方が大きく広がっているように思います。

 海外移住に関しては、もちろんリスクを伴いますし、移住したこと全てが良かったかというとそうでもありません。ただ私自身、何事もポジティブに考えてしまう性格でもあるので、海外に来て良かったと思うことがたくさんあります。そのことをこれからの自分自身が忘れないために、ここに文字として少しずつ記録していこうと思っています。これを読んでくださる方々の何かお役に立てるのなら、それは私にとって嬉しい限りです。今はまだ、あらゆることを学んでいる最中で、何かまとまったものが出来上がったわけではありませんが、この経験を、オランダにいながらもしくはいずれ帰国した時に日本の公教育や社会に役立てたいと思っています。退職した今でも、以前勤めていた学校の卒業生や元同僚の先生方とも、お互いの情報を共有しながら意見交換を続けています。離れても気遣ってくれる人がいて、共に刺激し会える仲間がいることに感謝しています。これからもオランダにいる私が経験し、これからの自分のために必要なことを記録し続けようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?