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最も避けなければいけない継承語における「最悪の循環」 - 子どもへの押し付けが奪う学習への興味や主体性[430]

 子どもの日本語を海外で維持する場合、多くの保護者の方がその難しさを感じていると思います。私もその一人で、オランダ現地(あるいはインター)の学校に通う子どもの日本語を維持することは本当に難しいと日々実感します。
 私の日本語クラスでは、子どもの習得度に合わせて学習を進めます。その子の年齢に合う学年の内容を進めると、どうしても漢字や語彙の関係から学習を進めるのが難しくなってしまいます。
日本語を海外で継承語として学ぶ場合、日本語という言語がアルファベットを使用する言語に比べて文字体系が特殊であることと、そもそものインプットが不足することで、日本の学年よりも学習が遅れることが当然のこととして想定されます。4年生だから4年生の内容を学ぶというのは、理解度を維持したまま継続するのが難しくなってしまい、子どもたちは置き去りにされたまま誰のための学習か分からないまま進むことになります。保護者は子どもの日本語の読み書きについて、できるところよりもできないところに気が向いてしまいがちです。そのため、その足りない部分を補うために必死になりますが、保護者が必死になればなるほど、子どもの自主性というものが奪われて悪循環が生まれます。

ケース①泣きながら音読、、、本当に意味があるのか

 子どもの継承語の習得は、得手不得手やモチベーション、そもそもの日本語に触れた期間によって大きく異なります。そのため、4年生の年齢だから4年生の教科書を読んだり漢字を学習すると、仮にその学習レベルが合っていないとしたら、本人が学べるレベルと学習内容にミスマッチが起こり結果的に自信をなくすことになってしまいます。
 中にはそれに気づくことができないまま、補習校などで出される宿題を無理やり取り組ませる形で進めることになり、学習の本質的な部分が失われたまま時間が経過していきます。仮に、それによって自信を持てるだけの日本語力が付いたら本人も救われるかもしれませんが、これまでに習った漢字は忘れてしまい(そもそもインプットが少ないから仕方ないのですが)、自力で問題文に書かれていることが読めないことなどが続くと、すっかり自信喪失するというケースはたくさん見てきました。

 私がオンラインでサポートしているご家庭の中には、すでに授業方針を決めておられる場合もあります。こちらからの意見や授業の様子などを報告することもありますが、本人のレベルに合わせるということがいまいち理解できないご家庭もあるようです。その子は、保護者が決めたことを嫌々取り組むような姿勢でここ最近は4年生の内容が難しくなってきたので、授業でもほとんど元気はありません。先日の授業では、ついに音読の途中で泣き出してしまい、日本語の勉強が嫌で嫌で仕方ないようです。ただ、オンラインで保護者がすぐ横にいることも合って、講師と腹を割って話すことも難しい状況です。何とか保護者の方に学習についてもう一度考え直して欲しいと思って状況報告や私の教室で行っている継承語の進め方について説明してもなかなか受け入れるのは難しいようでした。
 4年生の教科書が読めない理由は明確で、既習の漢字が定着していない中で新しい漢字がどんどん入ってきます。そんな状況であれば誰だって嫌になることは間違いありません。だからこそ、本人のペースで前回よりも何が成長できたかを感じる方が大切なんだと強く思います。自分のペースで学習が進むと、自分でコントロールしているという意識が強くなり、できないことよりもできることに目がいくようになって成長を感じやすくなります。このように、強制的に押し付けられる学習は本人から自主性ややる気をどんどん奪っていきますので、もはや保護者の人から与えられないと日本語に触れるようにはならず、インプットがさらに減ってこれまで学習した内容もどんどん忘れていくという最悪の循環に入ってしまいます。

ケース②家ではとやかく言わない、、、悪循環からの脱出

 別のご家庭で、来年から中学1年生になる生徒さんが6月から受講をスタートしてくれました。その子はインターナショナルに通っており、国際バカロレアのカリキュラムで学んでいます。いずれ日本語の科目が必要になるということで、ご家庭での日本語学習を今後継続することに不安を覚えた保護者から、これからの準備の進め方についてご相談をいただき、教室で進めているカリキュラムに合わせてオンラインで受講していただくという流れになりました。

 ご家庭の様子を聞いてみると、保護者の方が厳しく無理やり日本語の学習を強要してきたけれど、結果的にはあまり効果が得られなかったとおっしゃっていました。幸い本人は明るい性格で、授業の途中でもいろいろ手品のようなものを見せてくれたり、自分のことを話すのを楽しんでくれていて、学習にも前向きなので順調にスタートが切れています。本人は日本語ができないと少し自信を失いかけていたので、「できていないことよりも今できること」に注目して、「日本での生活経験がほとんどないのに、日本語ネイティブの僕とこんなにちゃんと会話できているなんてすごいことだね!読み書きは海外に住んでるとまた別の話になるから、それはこれから一緒に頑張っていけばいいよ。」と伝えると少し安心して、授業でも積極的に学ぶ姿勢を見せてくれています。

 保護者の方は自身の子どもへの接し方を改めようと努力なさっているそうで、「作文の宿題などでどうしても口出ししそうになってしまいますが、前向きに取り組んでいるしグッとこらえています。」とおっしゃっていただきました。日本で学ぶ国語とは違い、継承語として学ぶ日本語は見方を大きく変えなければいけないことに少しずつ気づいていただけたようでした。

継承語について知る「文字で考える両言語の違い」

 複数言語で学ぶ子たちにとって、言語習得のしやすさというのはそのままその子たちの習得度合いに影響してきます。その国でその国の言語を母語として学ぶのであれば、複雑な文法であってもネイティブとしてどんどん吸収していきますが、継承語や複数の言語の中で学ぶ場合はそれが難しくなってきます。例えば、私が今教えている子たちのほとんどは、学校で英語もしくはオランダ語で学んでいます。英語やオランダ語という言語の違いはあれども、アルファベットは大文字小文字で分けても52文字です。その文字が習得できれば、あとは特殊な読み方などを理解しつつ、語彙を身につけながら文章を読むことができます。

 アルファベットの起源は古代エジプトにあると言われますが、ヒエログリフを使っていたエジプトと楔形文字を使用していたメソポタミアとの間でこのアルファベットの起源になる新たな文字を開発したのがフェニキア人です。海上貿易で繁栄したフェニキア人がなるべく簡単に意思疎通ができる文字を開発したことがきっかけで、やがてギリシャ・ローマに伝わり多くの地域で使用されるようになったそうです。

 その一方で、日本語はひらがなとカタカナで92文字あり、そこから無数の漢字を覚えていかなければいけません。小学生で1026字、中学生で1110文字となり合わせて2136文字が常用漢字として一般的に使われています。つまり、一般的な文章が読めるようになるのに、単純計算でアルファベットの40倍近くを習得しなければいけないことになります。
 アルファベットが学べたら、次は特殊な読み方などをやっていくと思いますが、基本的にはこれで文章を読むための基礎はほとんど整ったと言えます。しかし日本語の場合は、文章を見ても分かる通り漢字の羅列で子どもたちが参ってしまうケースが多いです。本当は日本語の表現の豊かさや奥深さを味わってほしいと思うのですが、そこまで到達するにはかなりのハードルを超えないといけないという印象があります。

日本語が生きてくるのはむしろ小学校高学年や中学生ではないか?

 だからこそ、小学生の間はあまり高度なことを求めず、そこそこで良いから日本語の会話がきちんとできるぐらいで日本語を好きでいる状態を保つ方が重要だと思います。漢字について言えば、2年生ぐらいまでを必ず身につけることを目標に、あとはそれぞれの子どもたちのモチベーションや意思に任せて判断するべきと考えています。特に最近は、漢字を小学校高学年もしくは中学生から学ぶのでも十分に追いつくことができ、むしろ「複雑な成り立ちや漢字の考え方は複雑な思考ができる10歳」以降になるのを待つ方が効果的ではないかと感じます。日本語を嫌いになってしまうとそういった話は耳に入りませんが、日本語を使うことが好きであれば、漢字の成り立ちや複雑な構造はむしろ生徒たちの好奇心をくすぐります。実際に、アルファベットが母語の人たちはその文字の意味に興味を持ったりするので、そういった複雑が故の面白さみたいなところに焦点が当てられると良いかもしれません。

 海外での日本語学習というのは、アルファベット系の言語とは異なる現実的に難しい部分があると思うので、そういった努力だけでは補えない違いなども受け止めつつ、その子にとって日本語を維持するのに必要なものは何かを考えることで各家庭でできる日本語の学習が続けられると思います。


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