第1回ヨーロッパ周遊記⑤ (2022.08)フィンランド🇫🇮を振り返る【312】
エストニアからフェリーに乗ってフィンランドに入りました。所要時間はおよそ3時間でした。
フィンランドには、妻の友人の家でしばらくお世話になり、ヘルシンキの観光をしたりタンペレのムーミン博物館にいきました。
フィンランドは、2023年3月20日に6年連続で世界一幸福な国として報道されました。これは、所得や健康、頼れる人がいるか、人生の決断における自由度、寛大さ、汚職などに加え、不平等における格差なども考慮して出されたランキングとしています。
そんなフィンランドの魅力について、たった1週間ちょっとの滞在でしたが、その片鱗を見ることができたと思います。今回は昨年フィンランドに訪れた記録をしておきます。
複雑な歴史をたどってきたフィンランド
先祖はロシアの方から移り住んだらしく、フィンランド語が西欧諸国との関係がほとんど見られない理由がここにあるとしています。
12世紀頃からキリスト教の拡大とともにスウェーデンの侵攻があり、そこから19世紀までスウェーデンの支配下に入ります。
19世紀にはロシアとスウェーデンの間で戦争が起こり、スウェーデンがロシアに敗北したことでフィンランドはロシアの統治下に入ることになったのです。
ロシアからの統治は厳しいものではなく、自治もある程度任されていたそうですが、ここでフィンランド人たちのアイデンティティの問題(自分たちはスウェーデン人でもロシア人でもない、フィンランド人だ)が発生したそうです。
そして、1917年のロシア革命の際にフィンランドも独立を達成しました。その後も国内でのイデオロギーの衝突(西側の資本主義か東側の共産主義か)や、ロシアからの侵攻があり、痛手を負いながらも何とか独立を維持してきました。
そのため、フィンランドではほとんど(すべて?)の建物に核シェルターがあるそうです。滞在させていただいたお家にも地下シェルターがありました。このように、他国からの脅威にされされながら、また北欧という厳しい自然環境の中で、国家は発展し今があるのだということが分かりました。
国民の幸福度や教育の充実度についても、それだけを見てフィンランドが素晴らしいと捉えるのではなく、それまでにたどってきた歴史を知ることで、フィンランドが苦しみながらも自分たちの道を探し続けてきた結果が今につながっていることが分かります。
ちなみに一時期はフィンランドの教育がかなり注目されていましたが、今は算数・数学教育に課題を抱えているそうで、常により良いものを模索していることが分かります。
フィンランドの首都ヘルシンキ
日本に馴染みのあるレストラン
今回はかもめ食堂とMUJI CAFEに行きました。オランダではなかなかお目にかかれない、とても美味しい日本のご飯をいただきました。
どれもとても美味しく癒される空間でした!
中央図書館
ヘルシンキ中央図書館に訪れました。一目見て、これは美術館とかではないかと思うような迫力で、迫力と美しさを兼ね備えたデザインに圧倒されました。また、図書館の内部においても、私たちが抱く図書館のイメージをぶち壊すようなとんでもない構造になっていたのです。
妻の友人はユバスキュラに滞在していたので、そちらにお世話になりました。ユバスキュラからタンペレに向かう途中、電車の架線が何者かによって切られるという事件が起こったそうです。
振替輸送は比較的スムーズに行われていまたしが、空港に向かう人たちは混乱状態に近かったです。私たちもMUJI cafeでお会いする予定だった時間からかなり遅れてしまい、ヘルシンキの滞在時間は短くなりました。
ムーミン美術館
フィンランドに滞在中、タンペレにあるムーミン美術館に行きました。体験型ミュージアムとなっており、子どもたちはとても楽しそうに過ごしていました。
ムーミンはフィンランドで生まれ、日本でも愛されるキャラクターです。大人の私たちもとても癒されました。
美しい自然、素敵な文化、高福祉国家としての充実した施設など、フィンランドにたくさん魅力された期間でした。
冬の季節はとても厳しいと聞きますが、そういった厳しい環境があるからこそ、そういった福祉面での充実があるんだと思います。
<参考HP>