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狭い世界で生きる生きづらさからの解放-『さいはての彼女』からの学び[431]

 文学分析の勉強のために、原田マハさんの『さいはての彼女』を読みました。今回はIBDPの日本語Aの指定作品リスト(PRL)には入っていない作者の方なので、SSSTの生徒が作品として取り入れることはありませんが、いろんな作家の作品を読んで視野を広げたいと思っています。
 今回は、4人の女性の短編物語として、それぞれの女性が日常生活の中で感じる苦しみから、旅を通じて解放されていく様子が描かれています。
 この記事では、文学作品を読んで生徒たちと話し合いたいテーマについて記録しています。考察の部分では少し作品の内容に触れるところがありますので、ご注意いただけたらと思います。

自分の世界を広げてくれる「旅」

 私たちの多くは日常でいろんなストレスを感じやすい社会で生きています。それが社会からの無言のプレッシャーだったり、自分の中にある大きな不安からくるのものが多いと思いますが、やがてそれが他人と距離を感じる壁になって、足元が見えなくなってしまったり、時には攻撃的になってしまうことがあるかもしれません。
 この短編物語では、会社で働いている日常から、「旅」によって新しい人や風景に出会ったり、夫を失って家で暮らしているところに旅で訪れてきた人との出会いから新しい変化が起こったりと、人との出会いや新しい場所に赴くことで新しい発見ができることの価値が描かれています。

 私たちも、いつも同じ場所、風景、同じ人々ばかりの生活をしていては、物事を捉える視野が狭くなってしまうことがあるかもしれません。日常では見ることのない大自然や生き物から感じる命の美しさ、そこに住む人たちから見える景色や考えていることに触れて、自分という人間を再認識することの大切さがこの作品を通して私たちに伝えられます。

景色描写が豊か

 作中の自然の風景の描写が印象的でした。写真などで見ると瞬時に伝えることができる自然の美しさを、文字で表現するという日本語表現の豊かさを象徴するような描写が作品の各所に散りばめられていました。この作品を読んでいると、実際に北海道や伊豆にも赴いてみたくなります。

自分の心と向き合うことができているか

 私たちは自分自身のことを何となくわかっているつもりでも、本当の自分が望むものは無意識の中に埋もれてしまっていることがあります。自分の心の声ではなく、自分の置かれている立場で求められるものや社会の中で必要とされる一般的なものを満たすことに必死になってしまって、自分がしたいことではなく周りが望む人間になることを目的に行動していることがあるかもしれません。
 この作品に登場する女性の大半は、怒りを抱えながら仕事をしています。おそらくその原因は、いろんなプレッシャーの中でもがきながら頑張るうちに、いつの間にか周りに求められる人間になることが優先されてしまったからなのではないかと考えられます。それは、部下や友人に優しくできなかったり、家族に気を使わせてしまったりと、負の感情は自然と他の人に伝染していていきます。しかし、「旅」を通じて日常から自分を切り離し、本当に自分が大切だと思っていることを発見すると、それぞれの登場人物に変化が現れます。その変化に関する描写も細かく描かれているように感じました。

私が好きなセリフ

大きな変化は「強い心」から始まる

「どんな大それたことでも、誰かがそう考えるところから始まるじゃないかな」

『さいはての彼女』「冬空のクレーン」より

 3つ目の「冬空のクレーン」に登場するセリフです。東京の街並みを変えたいと思うことが大それたことだと志保は思ったのですが、タンチョウを保護する活動もある一人の思いからスタートしたということから、大きな変化が一人の強い思いから始まることを示しています。
 世の中には思い通りにならないことがたくさんあります。それは、身近なところから地球規模のことまでいろんな種類のものがありますが、まずは自分が強い意志をもち小さなことでも行動に移していくことで、その小さな変化が積み重なってやがては大きな変化につながっていくと考えていきたいと思います。
 ちなみにクレーンの語源は鶴になるらしく、この作品の味わい深さを感じさせられます。

他人との境界線は自分が引いている

 4つ目の作品「風をとめないで」の中に登場する、ナギの父タオが放った言葉が最も印象的でした。ナギは1つ目の話にも登場するのでこの両作品にはつながりも見られます。
 タオは耳が聞こえなくなってしまった娘のナギに対して、ある言葉を届けます。

 「ナギ。そんな『線』はどこにもない。もしあるとしたら、それは耳が聞こえる人たちが引いた『線』じゃない。お前が勝手に引いた『線』なんだ。いいか、ナギ。そんなもん、越えていけ。どんどん越えていくんだ。越えていくために、父さんがいいことを教えてやる。」

『さいはての彼女』「風を止めないで」より

 それから、タオの大好きなバイクに関するあらゆることをナギに教え、それが彼女の世界を広げるきっかけとなります。

 その他、ナギの耳が聞こえなくなってしまい、ナギの母は自分を責めていた時に夫のタオは、妻を不安に思わせてしまった自分に怒りを感じます。これは相手を思いやっているからこそです。怒りだと感じました。また、彼は子どもが生まれても好きなことをお互いいつまでも続けられる家庭にしたいとも言っており、夫婦は対等な関係の上で成り立つことを彼が望んでいたと考えることができます。こういった寄り添う心を持ったタオの人物的な魅力もありました。

 そして、ナギのバイクには感じである「凪」に「止」が書かれていません。その理由は「風を止めない」という意味が込められているもので、ナギに関するエピソードや短編のタイトルとの関連も感じられます。

 このように、小説の中で感じる「人間の生き方」について、日常の私たちについつい見落としてしまうものや、時間をかけて考えてみるべきものと向き合うきっかけを与えてくれるのではないかと思いました。
 私も学生時代にはバイクを運転するのが好きでしたが、無心で好きなことをするという意味ではとても有意義だったと今でも思います。自分の好きなことにとことん打ち込む、というのは仕事でも趣味でも必要なことだということが学べました。

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