IBDP日本語A(SSST)のサポートが今年もスタートしました!いろんなカリキュラムに関われることを活かして【328】
今月から2023年の新しい年度がスタートしました。新年度を迎えるにあたって、新たにIB(国際バカロレア)関連のサポートをさせていただく生徒も入ってきてくれて、IGCSEやIBなどの探究型の学びに寄り添いながら、私自身のスキルアップも目指していきたいと思います。
2019年にIB教育に関心を持ち、IBが行っているワークショップに参加しました。そこから自分の授業に探究的な学びを実験的に導入し、現在はオランダで子どもたちの日本語学習のサポートの仕事をしながら、IB教育やIGSCEのカリキュラムで学ぶ生徒たちのお手伝いをさせていただいています。
日本の教育から少し距離を置いたところで、「教育」というものをもう一回しっかりと考えたいと思ってオランダで日々を過ごしています。
今私が主に担当しているサポートは、
・小学生の日本語学習(継承語)
・中学生の日本語学習(継承語)
・日本の中学生の学習サポート(数学、高校受験準備)
・日本の高校生の学習サポート(数学IA・歴史総合・公共)
・日本の大学受験をするための高校生のサポート
(世界史・政経・書類添削・小論文)
・IGCSEのカリキュラムで学ぶ生徒の理科・社会、エッセイのサポート
・IB MYPの日本語のエッセイサポート
・IB DPの日本語AのSSSTのチューター
になります。
現在は学校の教員として働いているわけではありませんが、いろんなカリキュラムで学んでいる生徒たちに関わっていく中で、教育に関する視点が広がったように感じます。
「創る学び」か「消費する学び」か
授業をしていると「これを覚えたら点数がもらえて成績が上がる」「どれがテストに出ますか」という質問に段々と違和感が出てくるようになりました。
現在、担当している大学受験の世界史や政治経済において、共通テストや私立大学の入試問題を生徒と一緒に見ていると、未だに大量の知識を暗記しなければ問題を解けない構造になっています。しかし、これほどの膨大な知識を詰め込むことに時間と労力を割いたと知っても、これがその先の何につながるのかは不明です。マーク式の出題による採点の効率の良さや、何事にも正解があるという誤解につながることに対する心配の方が大きくなってしまいます。
その一方で、オランダで見ているIGCSEやIBのカリキュラムは、学習の負荷は同じく大きいのですが、学習内容に応じて自分で考えをまとめたり、それを論理的に説明することが求められます。もちろん、学びのために必要な知識は暗記しなければなりませんが、暗記したことがそのまま評価につながるのではなく、それらの知識をどのように繋げて自分の論点を構成するのかが重要になります。
自分でアイデアを作らなければならないので、私がサポートしている子たちは、学習が大変だと感じながらも、新しいことへの気づきや自分なりに論点を立てることに喜びを感じながら学んでいるのが分かります。
実際に日本の学校でもこういった探究的な学びは広がりつつあるようなのですが、これまでの知識偏重型で学んできた人が先生になり、それ以降アップデートがされていない場合は、探究的な学びを実践するのも難しく、さらに受験のシステムがそうなっていないことからもいろんな難しさを感じます。
IGCSEやIBで学んでいる生徒たちも、日本の生徒たちも、ハイスコアを目指しているのは一緒なのですが、与えられるものを消費してスコアを残すのか、現実世界との関わりを感じながら自分から論点や根拠をしっかりと置いて創り出しスコアを残すのかでは、その後の人生においても、学習態度や好奇心、情報収集力が大きく異なります。また、自分で論点を設定するということは、他者とのディスカッションも必然的に増えてくるので、私が最も大切だと考える「自分の考えを論理的に説明する力」も高まってきます。また、正解は一つではなく、いろんな考えがあるということも学びながら理解できるのです。
IBの学びがくれる「探究」は一生もの
DPの日本語Aのレッスンをさせていただく時は、最初の1ヶ月はとても忙しく感じます。具体的には、2年間を通して読む作品をIBが提示する条件に合わせてブックリストを作成したり、学習スケジュールを作成し、最終試験の練習問題の準備なども取りかからなければなりません。
2020年からIBDP日本語Aのサポートをスタートして、過去2021年と2022年に担当させてもらった生徒はどちらも日本語Aは満点を獲得しました。どちらも、本人が自分で学習を進めているところにスポットでお手伝いをさせてもらっただけなので、満点をとる生徒がどんなエッセイを書いているのかは分かってきました。
文学作品の分析について、最初はトレーニングが必要です。しかしそれに慣れてくると、作者が伝えようとしたことを探したり、発見したことを根拠をもって表現することの楽しさを味わうことができます。これに正解はなく、それぞれの解釈とその根拠をしっかり述べることができれば、きちんとした評価がもらえるのです。また他の人のアイデアを聞いたり、何か新しい発見をした時に「学ぶとの面白さ」を体感できます。それはDPが修了した後も、学びことが楽しいという考えも持たせてくれるのです。
正解が決まっている問題を生徒と一緒に見ている時、一生懸命考えたんだけれど結局は違う選択肢を選んだ場合、生徒を一度否定しなければいけません。しかし、自分で考えをまとめなければいけない問題の場合は、誤った解釈や分析、表現のところを指摘することはあっても否定にはならないのです。
「こう言いたいのは分かるんだけど、それだとここの部分はきちんとした根拠になっているかな?」というやりとりは非常に建設的で、「それでは、この考えだったら根拠になりますよね。」「私はここの根拠が大切だと思うんですけど、そしたらむしろ私が最初に書いた結論を変える方が良いかもしれませんね!」など、学びが加速していくのが分かります。
知識が正しいかどうかはもちろん大切なことです。探究的な学びの中でも評価に反映する要因ですが、それだけでは学びの面白さには到達できないと両方のカリキュラムを見ていて感じます。
知識偏重から探究的な学びへ
これは教育現場にいるとずいぶん長い間耳にしてきた言葉になりますが、学び方や評価が違うだけで子どもたちの人生観にも大きく影響してくると思うと、学ぶことが楽しいと感じられる環境になってほしいと感じます。
今の私ができることは限られているかもしれませんが、今後もいろんなカリキュラムの学びを見て感じたことを記録していきたいと思います。
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