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ジョン・ハッティ『教育の効果』から、学校での「学びの構造」について考える【340】

 教育に関する記事や書籍などを読むと、大量の知識をインプットすることから、自分で考えて学べるような教育が必要だと書かれています。このような流れは少しずつ変化しているものの、依然として知識を大量にインプットすること(特に社会科)や、自分で書く問題についても答えが決まっているものをただ文章で書くだけの形式のものが多い(これは自分で焦点を絞って論述する問題とはいえない)ように思います。

 私が今年の夏に読み終えたジョン・ハッティ『学習の効果』では、これまでの様々な教育的アプローチについて、いろんな論文を元にメタ分析された結果についてまとめられています。
その中でまとめられていた、学校や教員が勘違いしてしまっていることについて記録します。

生徒は教師や学校によって課せられた課題や試験に束縛されている

 浅い知識をできるだけ多く記憶すること、課題や試験を解くのに必要なだけの深い理解を身につけることに専念している
ここは、教師が思っていることとは裏腹にそういった現状があることを指摘しています。

 日本の学校教員の現状として、多くの場合は自分の取り組みたい実践よりも、学校内で決まっている評価や受験の科目などの縛りによって授業の自由度が低下してしまうことがあると思います。また、教員側が知識偏重型の環境で育ってきた場合、論述の評価について理解できておらずさらにそれをアップデートする機会がないまま自分が受けてきた教育をそのまま実践するという負の連鎖が起こっていると考えられます。

学習者が浅い知識を身につけようとしがちになる理由

 教師の質問の60%が事実の再生を求めるもの、20%が手順を答えさせるもの、学習者に思考を求めるものは20%に過ぎない
→学習における質問や試験の項目(口頭、筆記ともに)の多くが浅い知識に関するものであるためである

現代の学校において学習者が深い思考を必要とする場面が非常に少ない

 学力や認知能力の発達に焦点を当てた、深い理解を促す学習が大切だと主張しながら、資格試験などのハイステイクス・テストの対策として浅い知識を身につけさせる指導も重視している

浅い学習は見解や事実を知ることにつながる

 深いプロセス(関連づけと精緻化)が思考の質の変化を引き起こす
思考の質の変化が引き起こされるのは表面的な質問を与えられたときと比べて難易度の高い認知処理がなされたとき

児童生徒を学習に取り組ませることを難しくする原因

 授業内容のほとんどは学習者がすでに知っていることであったり、授業時間の85%は教師の話を聞いているだけであったりすること
→難しいが取り組みがいのある学習内容を扱うこと、学習者に高い期待を寄せること
(卒業できなくなるといった悪い結果を回避させる目標をもたせるのではない)

 これらの事項は、学校で学ぶ生徒が授業に退屈したり、学校での勉強は意味がないと感じてしまう原因を示しています。
教員が実践していることを振り返る機会がほとんどない状態で、浅い知識を身につけることにとどまってしまう場合、これからの社会では特に必要とされる深い思考や概念的な思考力を身につけないまま社会に出ることになり、地球規模での問題について理解を深めたり、グローバル化する中で人々の相互理解を深めるようなことはより難しくなってくるかもしれません。
こういった学びに対するメタ認知こそ、今必要な考えではないかと本を読んでいて思いました。

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