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再始

0からやればいいのにここを使う
「君が想う時、きっと僕も想うだろう」

2023年、Threadsをはじめた
公開ひとりごと
の、長い版をこちらでやろうかなと、ふと

2023年、長かった(まだ終わってない
もう一回やれ、と言われた一番嫌な年かもしれない
色々あった
色々あった気がするけど、あまり思い出せもしない
浮遊した時間で彷徨っていた事が多かった気がする

2017年頃から蒔いた種が発芽したような、そんな年でもある気がするけど、それは去年からだったか、今年からだったのか、よくわからないけど、自分からすると「遅いよ」とも言いたくなるけど、咲いたは咲いたでギリギリ自分が赦されるような、そんな開花だった気もする。

今年最後にギリギリ書けた小説を振り返ると、内容は90%くらいフィクションなのに、自分の人生が反映されているというか、ちゃんとこの人生を生きてこなかったら書けなかったな、と思う。
作品を書けた、というのが、一年を振り返った時に一番の収穫であったと思う。

数年前は「作品など、もう既に世の中に擦ったものが溢れかえっているのに、結局ナニカを踏襲したようなものをまたつくって、何の意味があるのか」と虚無感に慄き、息巻いていたが、今はもう少しフラットに、ただつくる、というふうに出来てる気がする。存在意義とかを考えてない気が、振り返ると、そんな気がしている。

2023年に自分が一番受け取ったメッセージは

「直ぐに答えを出すな」

ということ。
それは、宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」、村上春樹さんの「街とその不確かな壁」、そして令和に何故かぶり返した押井守監督の「天使のたまご」と対峙して想ったことである。

今の時代は「インプレッション」のためか、それはビジネスでもあり、自己承認欲求からくるものでもあろうが、

「直ぐにレビューをする」

が、当たり前になっている。それは私にはなんだか窮屈に感じさせる時代のムードだった。
そのアンチテーゼのようなものをこの三者から、この三作品から感じとったのである。

「心に浮かぶまでに時間がかかっていい、心に浮かんだものを直ぐにアウトプットしないで、熟成、発酵、腐敗、させて、そこから浮かび上がってくるものを待たれよ」

と、そんなふうに感じたのである。
おそらくそのメッセージが今年の集大成であると思っている。そして、その為にはノートにこのように書き殴りつけ、また、そこから浮かび上がってくるものを視てみよう、ということだが、それを見える場所でやろうというのは、いつ死ぬかも判らないから、ということでもあるし、見られる可能性という点での緊張感も多少ある。
また、この時に書いたものだ、という日付が入っているのもいいなと思う。明らかにこの記事自体、前記事とは文体が変わっているけど、前の記事もそれはそのままでいいか、その時の自分か、と思ったのでこのアカウントを使うことにした(多少記事を下書きに入れたが)そしてこの文章も先の自分が読み返した時に、あぁこの時はこういう自分だったな、と振り返れるわけです。

来年は、シャーマンと喜劇作家に成れるよう精進しようと思います。

今年は表紙の写真含め、フィルムカメラからコンデジに少し移行した年でもあり、それ相応の解像度の低いスマホアプリを使っていたような年でした。
少しコンデジの写真を載せておきます。

そして、なんとなく整理してた時に出てきた筆ペンで、King GnuのThe holeの歌詞を書いてみたら、何かいいかんじだったので、来年書道もいいかもしれないと思ったりもした。


来年もまた、楽しみだ(まだ2023年終わってない

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