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小さな庭に大きな世界を感じる

熊谷守一のよく知られる逸話の一つに、自分の庭を面白いと感じ、晩年は敷地から出ずに過ごした、というエピソードがある。
初めてこの話を聞いた20代の時はそこまでピンとこなかったが、40代終わりに近づいた今、改めてこの話に共感する。

自分の庭が一番面白い。

昨日はなかった花が咲いている。
気がつけば昨年のツバメが巣を直してる。 
ある日を境にアマガエルが鳴き出す。

別に広い庭ではない。でも、常識のある大人の視点をやめて、子ども、というより小人(こびと)の視点に立つと、実に様々な「面白いこと」があることに気づく。毎日表情が変わる。大袈裟ではなく。 

今のブームは雑草観察だ。
一雨降れば知らない雑草がわんさか出てくる。これを一つずつ調べる。写真を撮る。メモする。絵に描いてみる。そこまでしてもすぐ忘れる。もう一度覚え直す。面白い。

春はこんなに色鮮やかな花が咲いていた。どうして今まで気がつかなかったのだろう。特に黄の花。様々な種類がある。草刈りしてても目に入ってなかったんだな。もったいない。

「コメツブツメクサ」。

本当に小さい。米粒よりは少し大きいけど。これが今、庭の至るところにある。


「オオジシバリ」。

地面を縛るように這ってる。名前だけだと怖い。


「カタバミ」。

昔から知ってる雑草だけど、夜、葉っぱが閉じて片方が「食まれた」ようだから、とは調べて初めてわかったこと。

毎日知識が増える。楽しい。

それから、帰化植物についての考え方が少しずつ変わってきた。
今、日本にある雑草の多くが帰化植物だ。90年代に勢力を増やしている新参はいかにも悪者扱いだが、明治や江戸時代に入ってきたものは思ったより多い。稲と一緒に入ってきたもの、なんてくくりで考えると、ほとんどじゃないのかな。だからいくらでも入ってきていいですよ、と言っているのではなく、現状把握を間違えると単純に在来種が善で帰化種が悪とは決めつけられないということ。

何事もそうだけど、現状把握が曖昧なまま、良い/悪い の二面だけで物事を見ようとするとどこかで矛盾が生じる。今の世の中そういう事象はいくらでもある。僕らはなるべく正確に現状把握をし、そこからなるべく謙虚に物事を論じなければならない。

…だいぶ話がそれた。

雑草観察だ。
基本的に小さくてかわいい花が多いので、しっかり観察するには、這いつくばってじっと顔を近づけて見ることになる。端からみればヘンテコだが、所詮自分の庭なので家人以外には見られないから気にしない。
こうなると、もっとしっかり観察するためにルーペがほしいな…と急に思い立ち、ネットで調べ出す。できれば海外メーカーがいいな…ツァイスとか…と気がつけば、一気に物欲まみれだ。

「仙人」と呼ばれた熊谷守一にはとてもなれない。

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