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#父の日 完璧になれなくてごめんね

毎年、父の日に送ったウイスキーを、お盆の帰省まで封を切らずにとっておくのが僕の父。


「父は背中で語るもの」とはよく言ったものだが、僕の父は背中で語ることの多い人だった。家の中での会話はそれほど多くなく、だからこそ1つひとつの彼の言葉は僕が生きていくうえでの指標になっていることが多い。普段は多くを語らないけれども、節目節目で1番ほしい言葉をかけてくれるのが父だ。


厳しい人だった。これまで何度叱られたかはわからないが、いつも直接的には叱らない。「察す」ことを求める叱りかたをしてくる。今でも覚えているが、まだ小学生に上がるか上がらないかの頃、家族で食事をとっているとふと父が呟いた。


「猫がおる」


我が家は猫を飼っていなかったし、無論食卓に猫が並んでいたわけでもない。僕が口を閉じずにくちゃくちゃと音を立ててご飯を食べる姿を形容し、諫める意味で呟いたのだと気づいたのはしばらく経ってからだった。


無理があるよパピー。年端のいかない、物心ついたばかりの少年がその比喩を理解することは難しいよ。よく当時の僕は理解できたものだと思う。ただ、繰り返しそうして叱られたせいで「察す」力は人並み以上に身についた気がする。ありがとうパピー。


厳しい人だったが、僕は自分のやりたいことを父に反対されたことはなかった。進学校に在籍していたのに「美術の予備校へ通わせてくれ」と話したときも、進路を変更し「美術系ではない大学に行きたい」と話した時も、大学生のときに「1年休学して海外へ行きたい」と話した時も、一切反対されなかった。


決まって父は「自分で決めたことならそれでいいんじゃない」と言った。


背中で語る人だったから、父の生い立ちやどう生きてきたのかをあまり知らずに僕は育った。初めて父の過去とまともに向き合ったのは僕が18才の頃だ。高校3年生のときに、『18才の頃』という文集をクラスで作成した。76編の「18才」にまつわるエピソードが綴られた文集。38人のクラスメートと彼らを育てた父か母かの物語。その中の1編の物語として、父の18才だった頃に僕は初めて触れた。


父が野球がやっていたいうことは知っていた。部屋にはバットやボール、大学野球のトロフィーなんかが飾られていた。小学生の頃にグラウンドのネット越えのホームランを打ったというエピソードも聞いたことがある。だけど、1番野球に熱中していてもおかしくない高校生の頃の思い出を父が語ることはなかった。そのことに僕はうっすら気づきつつも、それまで踏み込んだことはなかった。



今から数十年前、小中と熱心に野球を続けていた父は、両親(僕から見たら祖父母)から高校で野球を続けることを強く反対された。学費の安い国公立大学に進学することを願うことが当たり前の時代だ。両親の意向を汲んでいた当時の担任にも「学業と部活の両立は難しい」と説得され、僕の父の夏は高校1年生のときに早すぎる幕を閉じた。そこからの父の苦悩と葛藤は想像に難くない。日々、自分の思い描いたものとはかけ離れた高校生活を過ごした。放課後に白球を追いかける同級生の姿を見て、父は何を思い過ごしたのだろうか。

そして、高校3年生の夏。野球部は甲子園予選の決勝まで駒を進めた。決勝の当日、マスクをかぶったのは中学時代バッテリーを組んだ父の親友。マウンドに、父の姿はなかった。全校生徒のほとんどが県営球場へ応援へ駆けつけるなか、父は試合のあいだずっと、家の近くの川べりに1人で座っていたという。

きっと、その時間は永遠より長かったのだと思う。きっと、誰よりも勝利を願い、同時に敗北を願ったのだと思う。

甲子園へと駒を進めたのは、父の高校ではなかった。家に帰ったあと、父の自宅へ1年生の頃の担任から電話があった。担任からはひとこと、「やっと終わったね」と。ぼろぼろと、涙が止まらなかったという。僕は父の涙をこれまで生きてきて見たことがないが、きっと、泥臭くも美しい泣き顔だったのだろうと思う。



父の日になると毎年、このエピソードを思い出す。だからきっと父は僕たち兄弟のやりたいことにNOと言ったことはなかったのだろう。「やりたいこと」をできないことの辛さを知る父にとって、その一言は何よりも重たいものだから。


そうしたときにふと、僕は父の想い描く息子になれただろうかと思う。祖父母は父を嫌って、野球を嫌って高校時代に野球をさせなかったのだということくらい、祖父母が見せる暖かい笑顔を見ればわかる。誰よりも父のことを思ったからこその選択。その慈愛とパターナリズムに満ちた選択が、当時の父にとって何より残酷だったにすぎない。


父は祖父母とは真逆の選択をした。やりたいことは、やらせる。その父の選択が「正しかった」かどうかは今の僕の姿でしか答え合わせはできない。


答えなどないことはわかっているし、正しさなんてないことはわかっている。けれども、完璧な息子になれなくてごめんね、という気持ちは拭いきれない。


Simple Planというカナダ出身のポップパンクバンドがいる。彼らが歌う『Perfect』という曲はまるで僕の気持ちを代弁してくれているかのようだ。おそらく、この曲の中の息子は父と何かしらの諍いで疎遠になってしまったのだろうと思うが、切実に息子から父への普遍的な気持ちを描いているような気がしてならない。



I’m sorry
I can’t be perfect


すべての歌詞を引用するまでもなく、このフレーズにこの曲のすべてがぎゅっと詰まっている。完璧になれなくてごめんね。偉大な父の背中を見て育ち、好きなように生きさせてもらった。だけれども、完璧になんてなれていない。


父への感謝の気持ちを伝える日であると同時に、父の日は僕にとって、自分の不完全さを突きつけられる日でもあるのだ。


直接こんな話をしてもきっと父を困らせてしまうから、次の帰省の時にはこの曲をウイスキーを飲みながら一緒に聴こう。


音楽も、ウイスキーも、父の趣味だ。





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