多分、場面緘黙症ぽかった私の話。
私は小学生の頃、多分、場面緘黙症ぽい感じでした。
多分とかぽいとか、ふんわり書いているのは、自己診断だからです。
(大人になってから心療内科に行った際に、こちらから質問して、それは緘黙だったのかもね〜と言われたくらいなので、自己診断としておきます。)
まず場面緘黙症とは、家庭では話せるけれどある特定の場所や状況では話すことができなくなってしまう、という疾患です。
これに加え、私は緘動ぽいものもあったように思います。話せなくなるのと同時に、身体が思ったように動かせず固まってしまう症状です。
大人になってから、当時の自分が何故そのような状態になっていたのか、そしてそれがなんなのかが気になって調べていると、場面緘黙症に辿り着きました。
そもそも何故気になりだしたのかというと、辛いな〜と思って生きていた所に、いわゆる、生きづらさというのをハッキリと感じ始めたからです。私の場合、家庭環境の影響も大いにありますが、ここでは割愛します。
小学生の頃、主に父親の実家、親族の前で声を出すことや動くことがままならない状態でした。それと、学校や学習塾。というか今思い返すと、家庭以外ではほぼ声出してなかったことに気付きました。
もうあんまりこの話題に触れることはないかもと思ってたけど、新たな気づき。書いてよかった。
多分、一番酷かったのが親族の前でした。
自分でも分からないけど、何故か全く声が出せないので、挨拶はできないしお礼も言えませんでした。
だからいつも、そんなこともできないのかと怒られていましたね。
挨拶もお礼もできない、失礼でダメでどうしようもないやつなんだ、と自分のことを責めていたのを思い出します。
声が出せないけど、声を聞かれたくないという気持ちもあったと思います。
よく、声聞きたい!と言われていたのですが、それがかなりプレッシャーになっていた気がします。
ついでに、トイレに行きたくても身体が固まってしまうのでなかなか動けず、よく膀胱が限界突破しそうでした。漏らしたことはないですが、かなり地獄でした。
学校では、友人はほぼゼロ。小学4年生に上がる時に引っ越して転校したのですが、見事に何も話せず出だしで詰んでしまいました。
前の学校には仲のいい友人がいたので、本当にショックでどうしようもなくなっていたんだと思います。
転校先で、私と行動を共にしてくれる子が一人いたのですが、その時は完全に心を閉ざしてしまっていたので、小学校卒業と共に交流が終わりました。今更遅いですが、今では本当に感謝しています。
それとこれは自分でも謎なのですが、通常会話もできないくせに放送委員に所属していました。
多分、職員室の脇にある狭い放送室にこもれることと、目の前の人でなく、マイクに話しかけたらいい、というところで安心できていたのかもしれません。
この時は、声を聞かれることの不安はそこまでなく、どちらかというと、人が怖くなってきてたんじゃないかと思います。
一番緘黙が酷く出ていた親族には、この頃になって声が出せるようになりました。
きっかけは運動会。何かの競技の放送・実況を担当したのですが、その時に親族も来ており、放送している声を聞かれた、というのがあって吹っ切れたようになり、それから徐々に声が出せるようになりました。
学校の授業や学習塾では、勉強に関する質問が出来なくなってしまい、学習塾の先生に、話せなくては生きていけない、というようなことを言われました。
声が出せるようになったけれど、それだけではダメでしたね。
中学や高校、それ以降でも、人間関係などでつまずくことが多かったです。
緘黙を抜けても、それまでに会話能力や人間関係を構築する力が培われず、体だけが大きくなってしまった、と感じました。
(人間関係については、家庭環境や私自身にも問題があると思っていますが、一応ここに書いておきます。)
自分の感覚としてですが、緘黙を抜けてからが本番、という気がします。
ゆるくいきたいし、あんまり厳しいこと書きたくないんだけど、これは本当にそう思います……
緘黙を知った頃に、ツイッターで同じような人たちを探して、たくさんの方々と繋がりました。
こんな思いをしているのは自分だけではない、ということを知って、心が少し軽くなったのを覚えています。
ここのところは、あまり無理をすることなく、自分が好きだと思う人達と少しずつ関わることが出来るようになってきました。
未だに、言葉が拙かったり話の組み立て方がおかしかったりする所があるかもしれません。それでも、誰かと話をするというのは、楽しくて喜びを感じます。
話せない自分のことを責める時間の方が多かったですが、ゆっくりでいいので受け入れて、許してあげられたらいいなと思っています。
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