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「社会を変える」と「生きる」の両立

なんで自分が思い通りに生きられないのか。その原因を社会に求めることは健全だと思う。

自分の過失を認めず、自分の至らなさを反省しないことを恐れ、自分の辛さを社会のせいにすることは、はばかられるかもしれない。しかし、たぶん社会のせいなのだ。多くの辛さは、社会のせいなのだ。だんだんと、そう思えるようになってきた。

僕だって、十分な収入と健康的な生活の中で、企業の中で一生懸命働くという道があるのであれば、それほど良いことはなかったと思う。しかし残念ながら、そのようなご縁はなかったのだ。そのご縁がなかったことを、運や、ましてや自分の至らなさに求めるのは合理的ではない。

果たして、僕が何か他の選択肢を取っていたら、何か特別な頑張りをしていたら、状況は変わっていただろうか。そんなことはないだろう。この社会が抱える問題がそこら中に散らばる中で、その餌食になったのだ。

敵が明らかな場合、利益を独占しようとする者や他者を顧みないもの、狭い社会で争いを繰り広げる者達がその要因であるとわかる場合もある。一方で、なんかわかんないけれど、こうなっちゃってるものも、たくさんある。

だから、社会を変えなければならない。同時に、生きていかなければならない。

社会を変えることと、生きていくことの両立のなんと難しいことか。それでも、自分のためにも、後世のためにも、この両立をなんとか続けなければならない。

いっそのことそのどちらか、社会を変えることか、生きていくことか、どちらかをあきらめたくなっても、それを両立していく。その道を歩くことが、自分にとって義を貫くことであり、真に生きるということなのだ。

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