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【連載】「こころの処方箋」を読む生活(pp.90-105)

新しい仕事を始めてまだひと月にも満たないが、忙しくしている。

日々新しいことができるようになっていくのは嬉しい一方、体力は持っていかれている。

とはいっても、余力がないわけではなく、帰ってからはゆっくり休むようにして、疲れを残さないようにしている。

仕事が増えることは、必ずしも疲労を意味しない。できることがなくて呆然とする中で、できることがないか探しているほうがずっと気疲れしてしまう。何かしら任務があったほうが、心のゆきどころがあって、いい。

とにかく休むことを頑張っている、といっていいだろう。やっておきたいこと、やるべきことを後回しにしてでも、身体を休め、睡眠時間を取っている。

疲れるようなことはしない。クタクタになるまで働かない。

そうした時期だったので、文筆活動も休止中だった。

実は、ここ二年間、誕生日前後に企画していることがある。それは、私の書籍の目録と年表を記した本の出版だ。二年前に、ライフヒストリーと、書いたエッセイのタイトルを記録しておこうと思い立って、毎年誕生日前後に出版することにした。

しかし、まだその準備にとりかかれていないし、エッセイ一冊分の記事もたまっている。今年中に形にできたらなぁと思っている。

形にしたいといえば、現代文と古文の教科教育法の本も構想はあるのだが、こちらも執筆は進んでいない。

かといって、表現活動が全くなかったわけではなく、10月末には、即興演奏セッションの機会を得た。仕事が始まったばかりの頃だったが、参加して良かった。

以前も参加した、クラリネット奏者の西村薫さんの主催イベントへの二度目の参加である。私が数年前から追いかけているビブラフォン奏者であり、精力的に作曲活動もされている會田瑞樹さんもゲスト参加されるということで、セッションするまたとない機会を得た。

当日は、卓上木琴を運ぶのにお金はかかったが大変有意義な時間であった。

さすが木琴と鉄琴であるから、言語の近い表現に出会ったような親しみを持って演奏することができた。こういうときはこうくるよね、ここはこんなふうにしたい、ということがかなり明確に伝わる。他の楽器と比べると、かなり近しいというか、共通した言語を持って対話できたように思う。

後日、ある演奏会に行った。その場所は、コンパクトだが消音環境の高い部屋が用意された、小さなカフェだった。どうやら、演奏会や講習会のために借りられるらしく、1時間3000から4000円で借りられる。決して安くはないが、有観客の演奏会を気軽に開催できるのは魅力的だった。

僕も、即興演奏のライブを開きたいと思った。卓上木琴による即興演奏のライブ。時間は約40分くらい。

僕は自分の自由になる演奏会ができるとしたら長くてトータル一時間の演奏会をしたい。僕自身が、そんなに長い演奏会は好きではない。基本的に、一時間くらいがちょうどいい演奏会は多い。三部構成なら、二部構成で十分だと思う。二部構成なら、一部構成で良いと思う。

一時間くらいでできる曲数で、それなりのクオリティを提供すれば良いのではないか。ということで、内容はともかく、短い時間でやりたい。ましてや、即興演奏なんていうマニアックなものと考えたら、一時間でも長いと思う。

すっかり昼夜逆転気味だ。ここでの逆転というのは、もともと昼夜逆転気味だったものの再逆転ということで、早寝早起きの気配がある。

十九時を過ぎると眠くなってきて、六時くらいには目覚めてしまう。その間ハッと目覚めると、まだ日付をまたいでいない日もある。今日もそんな日だった。たった数時間寝ただけなのに、ぐっすり寝た感じがある。とはいえ、いくらでも寝られるタイプなので、二度寝三度寝と繰り返している。

ちなみにこの間、「こころの処方箋」をほとんど読めていなかった。というか、本もそれほど読めていなかった。とにかく休養、睡眠に時間をかけていた。まあ、これくらいの方が良い時期もあるだろう。あまりストイックになるのも、身体にも心にもよくない。決め事を作らず、ある程度の流動性を担保することで、得られる恒常性というものもあるはずだ。


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