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東京現音計画#20感想

野平一郎は、若い。
若さとは、必ずしも年齢のことではない。
年若くとも、年寄りのような感性でものをつくる者もいる。

人は年輪のように型をまとっている。
年輪は簡単には熟成されない。
何十年もまといきっての年輪である。
まといたての年輪は生々しい木肌にすぎない。
年輪をまとうからには、何十年も未完成のままでいることを承諾しなければならない。

野平一郎は、若かった。
若さとは、時に現在性である。
「いま、ここ」に近いところに感性があることが、ある種の若さである。
他の作品も決して年代的に古い作品ではないが、それらは古典であった。
それらに比して、初演とは圧倒的な若さである。

ただ、初演だからといって若いわけではない。
若者が若者であるがゆえに若いとは限らないように。

野平一郎は、確かに若かった。
その感性は「いま、ここ」に向かっていた。
年輪を重ねた上に、なお「いま、ここ」を見ていた。

この作品が、「新進気鋭の若手作曲家」と言われても納得してしまう。

つまりは、野平一郎は若いのだ。

どの演奏家も一流であったことは言うまでもない。
表現の幅がとにかく広い。
音量はもちろん、音色、変化の速度、身体の使い方に至るまで、表現の幅に学ぶことは多かった。

特に印象的だったのがエレキギターの山田岳だ。

エレキギターの は、ちょっと次元が違うと思った。
それは、あくまで私の眼差しである。私の発想に収まらない部分があまりに大きく、そして、美しかった。

美とはなんと広義なのか。
その演奏は、新しい形容詞を得たような体験だった。

往時の作曲家達が、この楽器に惹かれたのもわかる。

総じて、なんと官能的で、心地良い空間だったのだろう。
そこに集う人もどこか共感できるような顔つきをしていて。
クラシカルな現代音楽は、文脈を抜きにしても心地良い。

そういう意味では、再演をしてくれる演奏家の存在は大きい。
しかるべき教育と支援によって、クラシカルな現代音楽が育つ場が生まれますように。

東京現音計画 #20
コンポーザーズセレクション7 野平一郎
回想のイティネレールと「飽和(サチュラシオン)」
2024年3月22日(金)
かつしかシンフォニーヒルズ
アイリスホール
プログラム監修:野平一郎
演奏 東京現音計画
 エレクトロニクス:有馬純寿
 サクソフォン:大石将紀
 打楽器:神田佳子
 ピアノ:黒田亜樹
 チューバ:橋本晋哉
客演
 エレクトリック・ギター:山田岳
【プログラム】
ヤン・マレシュ「ティチューブ」(2001)
ラファエル・センド「バッドランズ 打楽器のための」(2014)
フランソワ・ブーシェ「エコー分裂 エレクトリック・ギターのための」(1986)
ヤン・ロバン「5つのミクロリュード ソプラノ・サクソフォンとエレクトロニクスのための」(2005)
ユーグ・デュフール「マティスによる『赤いアトリエ』 エレクトリック・ギター、サクソフォン、ピアノと打楽器のための」(2020)
ミカエル・レヴィナス「空間ピアノのエチュード」(1977/2010)
野平一郎「忘却のテクスチュア サクソフォン、チューバ、ピアノ、打楽器、エレクトロニクスのための」(2023-24 委嘱初演)

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