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優しい時間に包まれて

朝の9時すぎに来たLINEは、地域でお世話になっている方からでした。

「今日は古民家カフェ。よろしかったらどうぞ」

いつも仕事と重なって断ってばかりだったのが、昨日の午後は都合がつきそうでした。お誘いに応えたくて、久しぶりに古民家の空気に浸りたくて、今日は立ち寄れそうですと返信。ついでに、最近またギターの弾き語りを練習していることを伝えて、ギター持参で練習していいか尋ねてみると、楽しみにしていますと返ってきました。

古民家カフェに集まるのは、地域の人たち。ひっそりとやっているその存在を知る人が、ふらりと立ち寄るのです。
マスターが淹れてくれたコーヒー、みなさんが持ち寄ったチョコレート、せんべい、リンゴにラフランス。ちょっとだけお洒落になったおばあちゃんちで、おやつを囲んで話が弾みます。僕の両親世代かそれよりもう少し先輩の方々が話すのは、年を重ねていろいろしんどくなったとか、あのかわいかった孫が最近はろくに話もしてくれないとか、どこそこの会長さんの話が長すぎて退屈だったとか、そんな日常の風景。親しい方のご家族が亡くなられたことも話題に出るけど、悲壮感というよりも、生きる営みの中でいつか訪れるその時の穏やかさをみんなで祈るような空気感がありました。

ゆるやかに、でも確実に時間は流れて、お開きの時間も近づいてきます。

「さて、そろそろ歌ってもらいましょうかね。あと30分したら、片づけないといけないし。」

そう声をかけてもらえなかったら、自分からは切り出せなかったはず。それではとギターをケースから取り出し、席を外していた人が戻るのを待ちながら息を整えます。
ものすごく緊張しているのを感じました。古民家の一室で皆さんとの距離が近いからなのか、何かあったら助けてもらえるバンドメンバーがいないからなのか、「ちょっと歌ってくださいな」の時のお作法が分からないからなのか。バンドを組んでライブで歌っていたときよりもドキドキです。

歌いながら、声が震えていた気がします。高い音がうまく出せなくて、変な音になっていたと思います。「もう少しキーを下げたら歌いやすいと思うよ」とアドバイスをくれたのが、ダメ出しのようにも感じました。
けれど、今思うと、僕がかっこつけようとしていて、誰もそんなこと望んでなかったのかもしれません。
ただ一緒に楽しい時間を過ごそうとしてくれただけで、僕がもっと力を抜けば、もっと一緒に楽しめた。
振り返って反省すると、強がっていたことが恥ずかしくなります。

でも、そうやってぐるぐる考えるのも含めて、受け入れてもらっていました。

その古民家は特別養護老人ホームの敷地内にあって、特養からも職員さんと利用者さんが来てくれて、せっかくだから施設でも歌っていってと声かけてもらいました。
「ちょっと歌ってくださいな」のお作法があるとしたら、謙遜して歌わずに去るのは興醒めできっとお作法違反。
そう思って、施設の方でも歌ってきました。「みなさーん、ミュージシャン連れて来ましたー」なんてご紹介されながら。

「優しい時間をありがとう。○○さん、嬉しそうにしてましたよ。」

と夜に送られてきたLINEには写真が添えられていて、僕も楽しそうにしています。
もっと上手に、もっと力を抜いて、また皆さんと楽しめるように練習したいと思いました。

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