花見は大人しくなった

父の小説「眼」(昭和49年)を読んだ。
 初めて読む父の作品で、それは井の頭公園に住む浮浪者の話だが、その一文に私は眼をとめた。公園の池に水死体が時々上がると記述があるのである。自殺や殺人ではない。泥酔故の水死体なのだ。

 花見の季節に池の周囲は無数の茣蓙(ござ)が敷かれ酒盛りが行われる。公園から1km程離れた実家でも「オーー、、!」と抑揚のない人声による塗りこめられたような騒音が、深夜まで聞こえていた事を私は思い出した。あれでは池に接した家の住民は寝られない、と父が言っていた事を思い出す。それ程、昔の井の頭公園の花見は地元住民にとっては地獄の季節だった。

 喧嘩もよく見られ、私は池に飛び込んだ酔っ払いが池から上がろうとするのを蹴飛ばされ気絶していた中年男性を覚えている。そのような調子だから水死体が数年に一度、池から上がるのである。

 ここまで読んでいただいた方は違和感を感じられるのではないだろうか?現在の井の頭公園からは想像できない昭和な有様だと。井の頭に限らず、以前は上野、千鳥ヶ淵など東京各所は無論、全国の桜の名所は概ね「血気盛ん」な時代があったのだ。
 それに比べて今はなんと大人しい「お花見」だろうか。つまり日本人が老成化したと私は思っている。花に酔い喧嘩し、池に飛び込み、死体になる程のエネルギーはもうこの国にはない。

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