石原慎太郎氏を考える

 作家であり政治家であった石原慎太郎氏が亡くなりました。レイシストであり、ヘイトメーカでもある人間が亡くなったので左派、リベラル派の皆様は歓迎だと思います。
(残るは石原氏よりかなり小粒だけど安倍晋三氏、高市早苗氏、スピーチがヒトラーを思わせる橋下徹氏あたりがいなくなればいい、といったところでしょうか?)
なぜ石原氏の様な超右翼人間を日本は生み出してしまったのでしょうか?それについて私なりの解釈を申します。
 昭和19年から日本はB29による空襲を頻繁に受け続け、後期の空襲になるとアメリカの戦闘機まで日本に飛んで来てB29を護衛。日本は迎撃する事が困難な状況でした。
 その戦闘機が帰還をする際、そのまま帰るのではなく目ぼしい物を見つけては機銃掃射をする。動いている列車などが有れば機関銃で撃つ。
 ある日、石原少年は戦闘機の機銃掃射を受けます。走って走って逃げる。戦闘機の爆音と機銃の音、パパパッ!が迫る。自分は死ぬ!と思った。爆音が過ぎ去った。見上げると自分を殺そうとした機体に女性のイラストが書かれていた。
 あ、また爆音が来る。今度こそやられる!と思ったが、機銃を撃ってこない。爆音が過ぎて見上げると翼に日の丸があった。二機目は敵機を迎撃する日本の戦闘機でした。
 先程自分を殺そうとしたグラマンは再び引き返してこない、助かったと思った一瞬だったでしょう。
石原「敵機を追う日本機を確かめた時の、ふるいつきたいような感動が忘れられない。あれは身にしみて感じとった国家というものの実感でした。」
 三つ子の魂百まで、といいます。当時の石原少年は12歳だったので三つ子ではありませんが、少年の生死に直結する原体験は強烈です。「国」と「自分」を強く意識したことでしょう。
 戦場に行くことがなかった幼い男子は、戦時中ほぼ軍国少年になっていたと思います。ところが戦後、軍国少年たちは真っ二つに分かれる。
大人たちは俺たちを騙した。神国日本は必ず勝つと言っていた。あんな冴えない男を神と言えと言っていた。神国は負け、昭和天皇みずから私は人間だとぬかした。俺たちを騙した。許せない!
もう一派も、同じです。大人たちは俺たちをだました。前々から戦争反対だと思っていただと?卑怯者!あれほど国がなくなってしまうと危機感をともなって全員が邁進していた戦争なのに、負けたとたん実は反対だっただと?!許せない!
の二派に。
石原少年は敵機に殺されかけ、救ってくれた友軍機の体験がありますから当然、後者となったのだと思います。
同じ軍国少年でも若く感受性が豊か故に、終戦は全く違う2タイプの若人を生んだと思います。

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